ジムニーを知る SUZUKI JIMNY

写真・瀬尾拓慶

販売から50年以上を経てフルモデルチェンジを行ったのはたった3回しかない。

時代やブームに左右されることなく、サバイバル性能を愚直に磨き続けてきたクルマ。それがジムニーだ。

圧倒的なオフロード性能を誇るのに、普段は軽量でコンパクトな軽自動車という絶妙な“人柄”ならぬ“車柄”。日常を疎かにしないのにいつでも冒険に代えてくれるというキャラクターは、人生の可能性を広げる予感に溢れている。

オフロードへの憧憬やシンパシーを語ってきたaheadの中でも、ジムニーは欠かせない存在なのである。

2017年3月号 Vol.172 特集「官能~クルマからエクスタシー」より オフロードを走るのは自然との交感

文・桜間 潤

 概してモデルチェンジのサイクルが短い日本車において、販売開始から42年を経て、いまだわずか3代目というクルマがある。それがスズキのジムニーだ。ジムニーは、軽自動車規格内に収まる本格的クロスカントリータイプ4WDとして1970年に登場した。しかしその誕生の経緯は決して平坦ではなかった。

 ジムニーは、じつはゼロから生まれたクルマではない。その前身となるクルマがあった。そのクルマは、日本のホープ自動車というメーカーが開発した軽自動車の四輪駆動車『ホープスターON型』だ。’67年に完成したこのクルマは、本格的なオフロード性能を備えていた。ただ、ホープ自動車は弱小メーカーで、経営的に困難を抱えていたため、このクルマの製造権を他社に移譲することを決意。当時はスズキ東京の社長だった現スズキ会長兼社長の鈴木 修氏(’12年当時)が、社内の反対を押し切って製造権を買い取ったのである。

 当時スズキは軽自動車規格の乗用車『スズライト』や同じく軽規格のトラック『キャリイ』で成功を収め、軽のスズキという立場を固めつつあった。さらに、そのラインアップに軽の四輪駆動車を加えることになる。手本となる『ホープスターON型』があるとはいえ、手作りに近かった同車をそのまま量産することは困難であり、新たに開発し直さなくてはならなかったのだ。エンジンとトランスミッションはキャリイのものを流用。デザインも『ホープスターON型』から一新、レジャー用途に使えるアピールがなされた。

 ジムニーという名称は、四輪駆動車の代名詞であるジープと、小ささを意味するミニとを掛け合わせた造語だ。ジープに匹敵する悪路走破性を軽という小さな規格の中で作り上げた自負心が名前に込められている。当初、空冷2サイクル360㏄エンジンで登場したジムニーは、2年後には水冷式に変更され、安定した性能を発揮できるようになった。

 副変速機を持つ4WD機構はもちろん、悪路走破性に有利な大径の16インチタイヤを採用したことなどは、ジムニーが本格的なオフロードモデルであることの証だった。事実、水冷化されたモデルでは、バハ・カリフォルニアの灼熱の砂漠を走るレース、「バハ1000」の前身となる「メキシカン1000」に参戦。数千㏄のエンジンを搭載する車両でエントリーするのが当たり前の中で、わずか360㏄しかないジムニーが、見事に完走を果たした。

 高い悪路走破性能に加え、実用車としての使い勝手を備えたジムニーは、現在も世界各国・各地域に輸出されている。アメリカでは「サムライ」の名称で親しまれた。オセアニアでは、オーストラリアやニュージーランドを中心に、小型トラックとしても活躍。アジアでは、インドネシアやタイ、台湾をはじめ各国で販売され、インドネシアでは「カタナ」、タイでは「カリビアン」の名称で親しまれている。

 さらにインドでは、スズキの現地法人、マルチ・スズキ・インディアがノックダウン生産を行い、「マルチ・ジプシー」という名前で販売。市民の足として重宝されているのはもちろん、救急車への採用や、現地のアドベンチャーラリー「レイド・デ・ヒマラヤ」や「デザート・ストーム」などにも出場し、現地の国民車としての地位を得ているのだ。

 ジムニーが輸出されたり、ノックダウン生産されている国と地域は、188にも上る。世界地図を広げてジムニーが受け入れられている国・地域を塗りつぶしていくと、ヨーロッパからアフリカ、北米・南米、アジア、オセアニアの多くの地域で活躍していることが分かるのである。

 軽自動車の可能性を広げようと造られたジムニーは、肥大することなく、小ささにこだわり続けた。小さな車体に本格的な4WDシステム、足回り、シャシーを組み合わせた結果、ジムニーは高いオフロード走破性能を発揮できた。小さくとも、軽であろうとも、胸を張って乗れるクルマ、それがジムニーなのである。

初代ジムニー(1970年)LJ10

軽自動車初の本格四輪駆動オフロード車として発表される。空冷直列2気筒。2サイクルの359ccで4速MTであった。

初代第2期(1972年)LJ20

エンジンが空冷から水冷に変更された。水冷になったことにより温水式ヒーターを得るなど、寒冷地を中心に販売台数を伸ばした。

2代目第1期(1981年)SJ30

11年ぶりにフルモデルチェンジされた2代目。オフロードとオンロードの両立を謳い、女性ユーザーも意識するように。水冷直列3 気筒2 サイクル539cc。

2代目第2期(1986年)JA71

2サイクルエンジンにかわり、電子制御燃料噴射装置及び4 サイクルターボエンジンを搭載。550cc4サイクルターボと5 速MTの採用によって高速性能にも余裕が生まれた。

2代目第3期(1990年)JA11

軽自動車の規格拡大によって排気量が110cc アップされた。サスペンションとダンパーの見直しによって、乗り心地と操縦安定性が向上したと言われている。

3代目(1998年~2018年)JB23

軽自動車規格の改正に伴ってフルモデルチェンジ。角形から丸みを帯びたデザインに大きく変更され、車体も大きくなった。幌モデルも廃止された。水冷直列3気筒4サイクルIC 付きターボ658cc。

4代目(2018年~)JB64

伝統のラダーフレームを継承し、さらに前後にクロスメンバーを配置した4代目は、ジムニー史上初めて、専用チューニングを施した直列3 気筒ターボエン
ジンR06A 型を搭載。また、3代目の4 型で消滅した機械式副変速機も復活している。デビューから3年半経過しているが、コロナ渦や半導体不足といった状況も相まって、今もなお納期が1年前後という人気状態が続いている。

「ジムニーを知る SUZUKI JIMNY」の続きは本誌で

僕の原点はジムニーライフ 河村 大

ジムニーは世界を走り回っている 桜間 潤

プリミティブなアウトドアギア~スズキ ジムニー 伊丹孝裕

スーパーGTのトップドライバーがジムニーに乗ったら―平手晃平 伊丹孝裕

『冒険者』大鶴義丹、アピオのジムニーでオフロードを走る 大鶴義丹

ジムニー歴史館をつくった男 山下 剛

ジムニーで行く1,850㎞の旅~龍馬脱藩の道を行く 河村 大

日常で履くワークブーツ SUZUKI JIMNY & JIMNY SIERRA 山田弘樹


定期購読はFujisanで