BORN IN 1970 あらがいの世代

モラトリアム世代の責任

文・山下 剛 写真・長谷川徹

 一般的にいわれる世代論でみると、今年50歳を迎える1970年生まれは端境はざかいにいる。前を見れば新人類やバブル世代、後ろを見れば団塊ジュニアや氷河期世代。前に属している感触もあるが、後ろにいる実感もある。

 ざっくりいえば、バブル期はあったものの高度成長期が終わり、20代から30代を「失われた20年」と呼ばれる長い不景気の中で過ごしてきた。学生運動もストライキもなくなったうえに不良すらいなくなった世間で、他人や社会に迷惑をかけるなとしつけられて育ち、目立たないことが適者生存の方法と考えてひっそりと生きてきた世代だ。

 さらに言えば平均寿命が伸びたこともあってか、成人年齢が20歳から30歳になったといわれだした頃に30歳を迎えたモラトリアム世代でもある。そのせいかまわりの同年代を見渡すと晩成型が多い印象がある。終身雇用の崩壊や男女雇用機会均等法、年金受給問題顕在化の影響も大きいだろうし、晩婚化あるいは未婚率が高まるなかで20~30代を生きてきた。

 私もその典型のひとりで、フリーター第1世代だ。20代は定職に就かずアルバイトを転々とし、望んでいた出版業界に腰を据えようと思ったのは30歳になる直前で、独立してフリーランスになったのは40歳を過ぎてからだ。さらに未婚でもあるが、これについては世代ではなく私の資質の問題なので省く。

 つまるところ、それまでの社会規範や常識、価値観が大きく変動するなかで、アイデンティティの確立が遅れたという側面はあるだろう。それがモラトリアムからの晩成につながっている。いささか自己弁護なきらいもあるが、率直な実感であり、客観的視座もふまえた現実的な回答でもある。

 本誌の柱であるクルマ・バイクについていえば、恵まれた時代にギリギリ間に合った世代だろう。第2次バイクブームは中学生のときだったが、免許を取れるようになったときはレーサーレプリカ全盛だった。私が通っていたのは都立高だったこともあり 〝三ない運動〟はそれほど厳しくなく、学校に乗りつけない限りはバレることもなかったし、目立たないことは得意だからどうとでもできた。

 高校3年になるとクルマに乗りはじめる同級生もそこそこいて、アルバイトで貯めた金で中古のレビンやマーチを買ったり、親のクルマを乗り回していた。高校を卒業するとスカイラインやセリカ、プレリュード、シルビアあたりの新車を買ったり親に買ってもらったりと、バブルのギリギリに間に合った。

 バイクを見渡せば、ゼファーをきっかけに主流はレプリカからネイキッドに移っていったが、国内4メーカーのラインアップは豊富にあった。排ガスや騒音規制もまだそれほど厳しくなかったから、メーカー自主規制はあれどエンジンはパワフルだったし、2ストローク車もあった。ブーム最盛期には実験的なモデルもあったが、それを経たからこそ80年代後半の市販車は完成度が高まり、出来の悪いモデルはなくなった。おそらくここから90年代中盤までが、日本製バイクのピークだったのではないだろうか。コンセプトとデザインは洗練され、加工や組立精度が向上したことで故障は少なく、それでいて価格は安い。どれもが一定のレベルを超えて安定した。そうした流れを10代後半から20代前半にかけて経験できたことは幸福だった。

 かといってもちろん現在を否定するわけではない。言いたいのはそこが古き良き時代の終焉だったということだ。もっといえばそれはすでに古い価値観で、ABSすらなかった時代のバイクを操ることに歓びを見出していたことなど何の自慢にもならなくなる。いや、すでにそうなっているのだ。むしろ他者の安全を脅かしていたことに無自覚だった事実を認め、恥じいり、反省すべきなのだ。過去の素行不良や交通事故、現在の病気自慢ほど格好悪いことはない。あの頃はよかったと同世代同士で慰め合うならともかく、下の世代に向けて語るなど愚の骨頂だ。

 「いまどきの若い者は……」というのは何千年も繰り返されてきた常套句だそうだが、これは人口の年齢層がピラミッドになっていたからこそ通用した。うるさいと笑い飛ばせた。しかしそれが逆転した今、これを言いはじめると圧倒的な数の差で若い世代は潰れる。数千年続いた伝統的価値観を変えられるとも思えないが、私たちはいま価値観が激動する時代に生きているのも事実だ。それを変えようとするのは世代論の端境にいる私たちの役目なのかもしれない。


特集 「BORN IN 1970 あらがいの世代」の続きは本誌で

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