特集 真冬の挑戦 PART1 オーロラを見つける旅

文・写真 山下 剛

「そうだオーロラを見に行ってみよう」そう思い立って本当に北欧まで行ってしまうひとは少ないだろう。まして雪に閉ざされた氷点下の北欧に。

 一昔前は旅に出るまでに情報を集め、知識を得るための努力と時間が必要だったが、今はインターネットという強い味方がある。思い立ったらすぐ、航空券の手配やホテルやレンタカーの予約までを自宅に居ながらにしてできるのだ。何よりも行ってみたいという純粋な好奇心さえあれば年齢を問わず実現可能な時代なのである。

 結論からいこう。そしてもっとも伝えたいことから書く。

 真冬のフィンランド、しかも北部ラップランドをドライブするのは最高に楽しい。あまりに楽しくて1週間借りたレンタカーの走行距離は、返却時に3,700kmも延びていた。

 針葉樹林帯と氷結湖、そしてなだらかな丘陵がどこまでも広がる平原を貫く、真っ直ぐで真っ白な圧雪路を時速100キロで、ただひたすらアタマの中まで真っ白にして走り続けるのは恍惚な悦楽である。フィンランドを南北に縦断する欧州自動車道路E75は、大都市部は高速道路となって市街地をバイパスするが、都市間は一般道というハイブリッドな道路だ。もちろん高速道路は無料だし、ラップランドへ入ると一般道でも制限速度は100キロになる、日本の常識では考えられないすばらしい道路なのである。

 しかもこの国の冬タイヤは、スタッド(スパイク)付きスタッドレスタイヤという、日本人には存在自体が矛盾しているように思えるタイヤだ。わかりやすくいうと、サイプ入りスパイクタイヤだ。

 鉄の鋲が氷をがっちりと噛み、サイプが雪をむっちりと掴むから、時速100キロで圧雪路や凍結路を走っても何の不安もない。そのため制限速度で走っていても、プラス20キロくらいで追い越されることがしばしばある。ぜひともいますぐにフィンランドへの航空券とレンタカーを予約して旅立ってもらいたい。そのくらい気持ちいいドライブを体験できる。

大晦日のヘルシンキ市内。各地で個人が花火を打ち上げていてドンドンと音が聞こえる。市街地中心部にも多くの人が出ていて賑わっていた。

レンタカーに装着されていた冬タイヤ。フィンランドのタイヤメーカー、ノキアンタイヤのノルドマン7SUVという銘柄。スパイク付きスタッドレスタイヤというよりは、サイプ入りスパイクタイヤという感じ。スパイクを打つ箇所にはサイプがない。

 ただし悲しいかな、冬のラップランドはまったく太陽が昇らない極夜があるほどだから、ドライブを楽しめる時間帯の大半は夜間だった。私が滞在した12月31日から年が明けた1月7日までの8日間は、フィンランド南端にある首都ヘルシンキこそ日出時刻はおよそ9時30分、日没は15時30分と6時間も太陽が出ているが、北極圏に入ると12月6日から1月6日までの1ヵ月間は極夜だ。太陽が昇らないといっても薄暮にはなるから、南の空が白む程度には明るくなる。4日間滞在した北緯68度のサーリセルカという町では、10時にうっすらと空が明るくなるが、12時を過ぎると暗くなりはじめていた。しかし朝焼けがそのまま夕焼けになるという、やはり日本ではまったく体験できない現象だからおもしろい。

 ちなみに北緯はヘルシンキ60度、稚内45度、東京35度で、66度33分以北を北極圏というそうだ。

 さて、私がフィンランドで主に走ってきたのは欧州国際規格でいうE75、フィンランド国道でいう4号である。南北に長い形状をしたフィンランド国内をきっちりと縦断する全長1,295㎞の道路で、図らずもこれを全線走破し、それでも飽き足らず国境を越えてノルウェーにまで踏み込んできた。ロシア国境にも足を延ばしてみたがこちらはビザなしでは越境できないので、国境ゲートを見物しただけだ。

 なぜそんなことをしたかと問われたなら、ヒマだったからとしか言いようがない。理論武装するならば、原則的にすべての旅行は自分の足で移動してこそだからだ。

 タネを明かせば、フィンランドに行きさえすればオーロラを見られるだろうと思ってヘルシンキ行きの航空券を買ったものの、そこからさらに1,000㎞北上しなければオーロラを見られない事実をあとから知っただけのことだ。しかしヘルシンキから国内線を乗り継ぐよりは、地べたを1,000㎞を走っていきたいと思ったのは本当の気持ちである。

 だからこそラップランドからヘルシンキへ南下する帰路では、9時頃に出発して宿を探しはじめる17時くらいまでの6時間ほど、南の空はずっと茜色や藍色に焼けっぱなしという現実を知ることができた。見渡す限り広がる白銀の中を、地平線あたりでごろごろと気怠そうに転がる太陽を追いかけながらひたすらに走り続けられるのだ。まどろみの朝焼けがそのまま麗しき夕焼けになる、美しきけじめのない世界。これが痛快でなくて何が世界だ。

 とはいえ、昼と夜がこれだけピーキーな土地に暮らしていれば、良かれ悪しかれ精神性に大きな影響はあるだろう。フィンランド語には自宅でパンツ一丁になって酔っ払う様を意味する「カルサリカンニ」という言葉があるそうだし、ノルウェーやスウェーデンも含めた北欧でヘヴィメタルが人気なのもそこに端を発していそうだ。私はたかだか1週間旅しただけだが、その気持ちはちょっぴりわかるような気がする。

サーモンはグリルするのが一般的のようで、スモークしたものをグリルしたサーモンを出すところもあった。日本とさばき方が違って大きいのでガツガツと食えておいしい。

ヘルシンキから北へ向かい、オウルという大きな町までの間でよく見かけたドライブイン「ABC!」。1月1日もふつうに営業していた。給油所とレストラン、日用雑貨を販売していて、ヨーロッパではよく見る店舗形態。20mくらいあるADタワーは、夜中に見かけるとホッとした。

フィンランドは氷河が削った大地で、国中に大小の湖が点在している。ヘルシンキから200kmくらい北上するとほとんどが氷結していた。

 日本では元旦を休業にするコンビニが現れたことがニュースになっていたが、そもそも仕事よりも人生を大切にするといわれるヨーロッパで、1月1日にまともなドライブができるのかという懸念もあった。飲まず食わずのワンタンク分しか走れず、車中泊することになるかもしれない。だからヘルシンキへ着いた晩にフランスパンとチーズと12本パックのボトルウォーターを買ってクルマに積んでおいた。

 だが日が変わると、ニューイヤーズデイだというのにガソリンスタンドもレストランも平日のように営業していたし、24時間オープンしているガソリンスタンドもちらほらあった。その晩の宿もすんなり取れて、暖かな部屋のベッドで眠れた。フィンランドの元旦に商店が営業しているかどうかは日本で調べてもわからなかったし、ヘルシンキ空港のレンタカー係員に聞いても明確にならなかったことだ。

 日本独自のドライブマナーだと思っていたサンキューハザードをフィンランドのドライバーもやることも知った。このことをツイッターで書いたら「フランスでもやります」と返答してくれた人がいた。ハイエースが意外なほどたくさん走っていることや、暗闇を対向してくるトラックの電飾がどことなく日本のそれと似ていて、ひょっとするとデコトラ文化があるのかもしれないと思ってニヤニヤしたこともそうだ。

 どうやら今年は暖冬で、北欧の国とはいえ首都ヘルシンキの気温は0度前後で市内に積雪はなく、そこから300㎞ほど北上してようやく全面圧雪路が現れて気温も常に零下になること、オウルという都市よりも北へ行くと気温がぐんと下がって人口密度もさらに低くなること、北極へ近づくほど加速度的に日照時間が短くなっていくことを知れたのも、クルマを走らせたからこそだ。

 しかし時は金なりともいう。フィンランド縦断2,000㎞に費やした4日間は、国内線なら4時間ほどだ。はたしてそれに見合った旅になったのかはわからない。

フィンランドの北限あたり、ノルウェーとの国境付近になると気温がさらに下がるからか、沿道の木々は樹氷になる。

ノルウェーとの国境にかかる橋。このあたりは大きな川が国境となっていて、フィンランド側、ノルウェー側それぞれ川に沿って道路が走っている。ちなみにフィンランドのことを伝統的な言い方で「Suomi」というそうだ。

オーロラハンティングのために滞在していたサーリセルカという町。フィンランドでもっともオーロラを見られる確率が高いそうで、日本人観光客もたくさん来るらしい。しかし私が見かけたのは中国人ばかりで、ひょっとすると日本人が多かったのは数年前のことなのかもしれない。

地元住民かと思っていたけど観光用かもしれないスノーモビル。ガソリンはレギュラー(オクタン価95)1リットルが1.58ユーロなので、約191円。けっこう高い。

サーリセルカの町から針葉樹林の中へ入っていくと、スキー専用道と林道が交差していた。スキー専用道には街路灯があり、クルマ・バイク・スノーモビルはもちろん歩行者も通行禁止。

早朝に雪かきをする除雪車。除雪はかなりの部分まで行き届いていて、主要道だけでなく冬の間は何もないトレッキングルートに行く道路までしっかり除雪されていた。

 今回の旅の一番の目的はオーロラを見ることだ。フィンランドでもっともオーロラが見える町といわれるサーリセルカに滞在したが、ずっと雪雲に覆われていたから半ば諦めていた。

 しかし幸運は突然やってきた。フィンランドにやってきて5日目の夜、私の頭上でオーロラが爆発したのだ。

 東の低い空、針葉樹林の森陰からオーロラは現れた。緑色の光がもわもわと湧き上がってくる。その動きは非常に早く、まるで焚き火のように強くて明るく、針葉樹を燃やす炎がメラメラと大地から噴出しているようだ。私はセットしておいたカメラのシャッターを切った。しかし露出を20秒にしていたため、確実に被写体ブレを起こしている。撮影設定を変えねばならない。10秒……いや5秒でも長すぎる。かといって1秒や2秒で写せるほど光は強くない。そうだ、現像時に増感すればいいじゃないか。ならばもう一度シャッターを切れ……ダメだ、露出オーバーで補正も効かない。いいやいいや、もう無駄だ、写真などどうでもいい、脳細胞に焼きつ……。

 そんなことを考えているうちにオーロラは天頂あたりまで伸びて、天空いっぱいに広がっていた。ものすごいスピードだ。電磁波や光なのだから当たり前なのだろうが、天空にこれほどの速さとゆらめきで広がる自然現象など見たことがないし、想像したこともなかった。天空に張り巡らせたスクリーンに緑色の炎を投影した、天然のプラネタリウムのようだ。

オーロラに遭遇した夜は半月を過ぎたあたりの月が西の空に出ていた。それまで月の白い光に照らされていた雪原は、オーロラが爆発すると緑色にきらめいた。出現時はそこまで気が回らず、その事実はあとで写真を見て知った。

 「え。え。え。えええ……!? あ、あ、ああああわあわあわわわ……」
 無意識にそんなことを口走っていた。いや、正確にいえば失禁するごとく声を漏らしていた。それは美しき恐怖といってもいい。神の仕業と信じたくなる現象だ。そして人は信じられない現象を目の当たりにすると、本当にあわあわと声に出すことにもちょっぴり驚かされつつ、私はたじろぎ、うろたえ、震え、慄き、そして見惚れた。

 天空からシュッと下りてきたいくつものカーテンが強い風に煽られて舞い踊るように、あるいは新体操の選手が振り動かすリボンのように、ひらひらとゆらめいては消え、また現れては消えていく。カーテンの大部分は緑色で、裾のあたりには黄と赤がかすかに混ざっているが、一瞬の後に溶けていく。それが視界のほぼすべて、天頂どころか南にも広がり、西の低い空にまで伸びているのだ。オーロラにはノーザンライツという別名があり、その特性からおおよそ北の空に出現する。しかしオーロラが広範囲に渡って出現し、観測者が真下にいるのならその限りではない。

 私は呆気にとられ、ぽかんとクチを開いたまま、ただただ天空を見上げていた。これを見るためにはるばる9,000㎞も移動してきたというのに、いったいこれはなんだ、何なのだ……という疑問に身体を縛られたごとく動けず、しばらく立ち尽していた。

 たぶん長くても2分間ほどの出来事だったろう。もう一度来ないかと期待してしつこくそこにいたが、薄雲のようなオーロラすら消えようとしていた。零下20度に耐えきれずクルマへ入り、エンジンをかけた。しかしアイドリングさせるだけではまったく水温計が動かず、クルマは冷風を吐き出すだけだ。

 潮時だ。そう思えた私はクルマを走らせて宿へ戻った。帰り道の空にもまだぼんやりとうっすらとオーロラは漂っていて、額のあたりはじんわりと痺れたように獏としたままだ。翌朝ベッドを出て、外でたばこをふかしているときでさえまだ、精神から火照りが取れずぼおっとしていた。

 インターネットが普及し、デジタル機器やカメラが高性能化したおかげで、地球で起きていることをデスクトップで知れるようになって久しい。オーロラ爆発の映像や写真もグーグルで検索すればいくらでも見られる。

 しかし断言する。どんなすばらしい映像であってもその美しさだけに終始しており、オーロラの驚異と恐怖を映せてはいない。オーロラの前ではあらゆるレンズも撮像素子も、人間の目に敵わない。オーロラはその真下に立って全身で受け止め、恐ろしさも感じてこそ美しさが際立つ。

 未知を既知とする体験は若いうちにすべし、という意見がある。たしかにそうだろう。しかし爆発したオーロラはむしろ逆かもしれない。もちろん自然現象のひとつなのだが、地球というよりは宇宙的体験であり、ファンタジーやオカルトの超常現象に近い。常識や固定観念を打ち砕く力がある。だからこそ中高年で初体験するにふさわしい。40歳を越えてもオーロラを見たことがないのなら、それは幸福なのだ。

ビーチクルーザーと同じような極太タイヤで雪道を走る自転車。

首輪をしているので野生でなく、放牧飼育されているであろうトナカイ。道路にはあちこちに「トナカイ注意」の標識が立っている。前走車を見ていたら、トナカイが道路上にいた場合はハザードを点滅させながら減速するのがルールだかマナーのようだった。wikiによるとトナカイは人類が初めて家畜化した動物ともいわれているそうで、かなり意外だった。

サーリセルカは観光地で、スノーモビルのオプショナルツアーを連日開催している。参加したかったが寒すぎて断念。

わざわざオーロラを見ずとも、朝焼けから夕焼けまでけじめなくつながっている空を見ているだけでも十分に思えてくる。

たまにはちゃんとしたレストランで、ちゃんとしたものを食べようと思った。トナカイのサーロインステーキ。

特集 「真冬の挑戦」の続きは本誌で

オーロラを見つける旅 文/写真・山下 剛

アフリカ・エコ・レース
菅原義正、新たなる挑戦 文・山下 剛


定期購読はFujisanで