先月ドイツの「インターモト2018」で正式発表された新型KATANAは、往年の名車であるGSX1100S KATANAと同様に多くのライダーから愛される存在になるのだろうか。来年発売されるというこのニューモデルを迎える前に「KATANA」というバイクとは何かをもう一度振り返っておきたい。
先日ドイツで開催された2輪のモーターショー、インターモトで新型KATANAが発表された。先代のGSX1100Sカタナと言えば、それまでのバイクのデザインを大きく変えた存在。名車として現在も多くのユーザーに愛されているだけに新型の登場はかなりの話題となっている。〝ケルンの衝撃の再来〟などとも言われ、ネット上では賛否両論が飛び交っている状態だ。
実は筆者自身も新型KATANAは非常に気になるバイクである。というのも20歳ときに限定解除を取得してすぐにGSX750Sに乗り始め、その後1000、1100と乗り継いだ。一時オーナーズクラブの副会長を務め、何台もカタナを連ねてツーリングをしたり、カタナでレースに参加したりもした。さらにはカタナのサイドカーを所有するなど数多くの思い出があり、この仕事を始めるキッカケにもなった。そんな自分や、過去にカタナに乗っていた人が新型のKATANAを愛せるのだろうか。今一度GSX1100Sカタナというバイクの生い立ちを振り返り、考えてみたい。
GSX1100Sカタナが発表されたのは’80年。バイクブームが盛り上がっている時期で、各社とも来たるべき新時代に向け意欲的なモデルを続々と発売していた。そんな中、スズキは70年代から言われてきた「性能は良いがデザインが…」という評価を覆すべく様々なトライを重ねていたのだ。その1つが外部デザイナーとのコラボレーションだった。
’79年、ドイツのバイク雑誌のコンテストで、ロータリーエンジンのRE-5やフロンテクーペで交流のあったジウジアーロと組み、コンセプトバイクを発表した。しかしジウジアーロが創作したバイクよりも、その企画の担当者だった谷 雅雄氏の目に留まったのはターゲットデザインが創ったMVアグスタだったのだ。低くシャープなスタイルの真っ赤な車両は今までのバイクにはないスタイルだった。「スズキでコレをやりたい」 そう考えた谷氏はターゲットデザインに接触を図る。そしてドイツのエージェントを通してターゲットデザインのハンス・ムートに会ったところからこのプロジェクトはスタートした。
ターゲットデザインから最初に提出されたデザイン「ED1」は今で言うネイキッドながら個性的なデザインだった。スズキ社内での評価も高く、すぐにGS650Gとして市販化が決定した。しかし谷氏は満足していなかった。「MVアグスタのコンセプトバイクを指して、自分がやりたいのはコレなんだとムートに伝えたんです」 その言葉を受けたターゲットデザインから提出されたデザインが「ED2」、いわゆるGSX1100Sカタナの原型だった。それはあまりに型破りで斬新なもの。社内に持ち込まれたモックアップを見て、社長をはじめ立ち会った全員が衝撃を受けたという。市販車の開発責任者だった横内悦夫氏は「これはイケる。スズキのイメージが大きく変わる」と判断し、’80年のドイツ、ケルンショーに出品することを提案。かくしてショーでは大いに話題となった。しかしこの時点では誰もが「ショーモデル」だと思っていた。ところが翌’81年、一部修正されたものの、ほとんどプロトモデルと変わらない姿で市販化され、世界をアッと言わせたのだ。
以下はGSX-S1000の諸元から。
最高出力109kW〈148PS〉 / 10,000rpm
最大トルク107N・m〈10.9kgf・m〉 / 9,500rpm
ここまではバイクマニアの間では知られた話。しかしGSX1100Sカタナはハンス・ムートが1人でデザインしたわけではなかった。実はターゲットデザインに在籍していた20代のデザイナー、ジャン・フェルストルム(※フェルストロームの表記もあり)がメインで創作したのだ。しかしスズキとの渉外をムートが行っていたのと、元BMWのデザイナーとしてムートが有名だったことから、スズキは「ムートのデザイン」と取れる表現をし、カタログにもムートの名前を入れてしまったのだ。だがそれはフェルストルムにとって面白くない話だっただろう。後日ムートはターゲットデザインを辞め、直接スズキと契約している。
そして今でこそ名車として名高いGSX1100Sカタナだが、実は最初から多くの人に愛された訳ではなかった。リアルタイムで当時を知る人に話を聞いたところ「カタナの話題はそれほど大きなものではなかった」と言うのだ。その頃カタナは〝ギミック〟に映ったという。また’80年代初頭、バイクの注目ポイントが「最新テクノロジー」だったことも影響しているだろう。技術が日進月歩で進化していたこともあり、水冷V型エンジンや角型フレーム、リンク式モノショックなど、次々と高性能化が進む中で、空冷4気筒エンジン、2本ショックというベーシックな造りのGSX1100Sカタナは、続々と発売される最新鋭の新型バイクの影にすぐに隠れてしまったらしい。
それに加えて免許制度も不利に働いたと言える。当時400㏄以上のバイクに乗るためには試験場で実技試験に合格し、限定解除をするしかなかった。しかしその合格率は極端に低かった。そのためユーザーの興味は400㏄以下のバイクに集中。雑誌もそのクラスをメインにしていたのだ。実際にその頃の雑誌を見てみると発売直後にも関わらず、カタナは意外なほど少ない。インターネットなどのない時代、海外のショーの情報も限られていた。カタナは多くの人にとって〝自分達には関係のないバイクだった〟のだ。
また当時GSX750Sに乗っていた知り合いは、新しいメカニズムを搭載した新車が続々と出てくる中、リヤショックのスプリングが見えるカタナがやけに古く感じたと言う。「走りも違ったね。峠ではどうやっても同じ場所でブレーキングできないんだ。例えばホンダのVF750Fにはバックトルクリミッターが搭載されていて、エンブレが上手く決まるんだ。ああ、カタナはこのまま時代の流れの中に忘れられていくんだろうなと思ったよ」 先鋭的なスタイリングも技術の進化の前には無力だったのだ。
ではそんなGSX1100Sカタナが名車になったのはいつからだろうか。ひとつのヒントが’87年10月号の「Mr.Bike」誌にあった。その中で当時の主流であるレーサーレプリカに対するアンチテーゼとしてGSX1100Sカタナと並列6気筒エンジンのCBX1000が取り上げられている。また第三京浜を舞台として空冷4気筒のカスタムブームが盛り上がったのも、マンガ「キリン」の連載が始まったのもこの頃だ。カタナが注目され始めたのも恐らくこの辺りから。思い返すと筆者がカタナに強い興味を持った時期とリンクしている。
話題にのぼれば生い立ちも注目される。この頃から「ケルンの衝撃」という言葉を雑誌で目にするようになったが、リアルタイムで当時を知る人たちからすれば、後付け感は否めない。「ケルンの衝撃」という言葉はしかし、徐々に浸透し、いつの間にか一般に広まって行った。そして熱狂的なファンが増え、彼らの後押しもあってカタナブームはグイグイと加速。このまま時代の波間に消えてしまうかと思われたカタナは再生産されるほどになり、名車としての地位を確立したのだ。
そして先日、18年ぶりに、ついに新型KATANAが発表された。低く構えたフロントカウルにプレスラインに沿ってSUZUKIのロゴが入ったガソリンタンクなどのカタナらしさを受け継ぎつつ、ショートテールなど現在のトレンドも織り込んでいる。だがネットでは評価が分れている。それらを見ると批判的な意見は従来のカタナを軸にしたものが多いようだ。なかには「新型KATANAは先代のような名車にはならない」と言い切るものまで。だが先代のカタナも生まれながらの名車ではなかった。カタナに惚れ込んだユーザーたちと時代の流れが名車にまで押し上げたのである。そう考えると今までの感性でとやかくいうのはお門違いのような気もしてくる。
事実WEB上にはこんな意見も多々ある。「新型KATANA、めちゃくちゃカッコいい! 大型二輪免許取りに行くぞ!」 それは自分が若い頃にGSX1100Sカタナに対して抱いた感情を思い起こさせてくれるもの。新型KATANAが名車になるかどうかは、これからの若い世代と時代の流れが決めていくことなのだ。
歴代1100カタナ
GSX1100S PLOT(1980年)
GSX1100SZ(1982年)
GSX1100SD(1983年)
GSX1100SE(1984年)
GSX1100SR(1994年)
GSX1100SY FINAL EDITION(2000年)
カタナ派生モデル
GSX750SS(1982年)
GSX1000SD(1983年)※1000SZもあり
GS650G2(1982年)※初代の発売は1981年春
GSX750S3(1984年)
GSX250SS(1991年)
GSX400S(1992年)