マン島に見る死生観 Isle of Man

ラムジーの町を背後に抱えるポイント、ガスリーズメモリアルを通過するダン・ニーン選手。この2日後の5月30日のプラクティス走行中にクラッシュ、帰らぬ人となった。

もう長い間、戦争も紛争もない日本。
世界中で起こっている悲惨な出来事がテレビなどで報じられることも少なく、あまりにリアルな映像は、ぼかされ、死は遠いものとして覆い隠されているような気がする。

死ばかりを意識していては日々を生きていくことはできない。しかし死は実は誰にとっても常にそばにあるのだ。死をどう捉えるか。それはどう生きるかを考えることでもある。

死に最も近いと言われるレース、マン島TTにそのヒントはあるだろうか。

「死を知らずに人生を愛することはできない」

文 / 写真・山下 剛

意外なことだが、マン島TTのスタート&ゴールであるグランドスタンドの向かい側は、広大な墓地だ。コントロールタワーの屋上から墓地を一望できるし、墓地からはコントロールタワーを望める。

 『CLOSER TO THE EDGE』というマン島TTのドキュメンタリー映画がある。2010年のTTを記録したこの映像には、レースで事故死したポール・ドブスの妻、ブリジット・ドブスが登場してインタビューにこう答えている。

 「来週私は生きてないかもしれないという気持ちが潜在意識にあると、人生を愛せるようになる。(中略)死を愛することはできない。でも、死を知らずに人生を愛することはできない」

 彼女のこの言葉が、この散文の主題をすべて語っている。しかし蛇足とわかっていながらもう少し書く。

 人はいつか必ず死ぬ。呼吸ひとつは死への一歩だ。どう生きるかという問いは、どう死ぬかという問いと本質的に変わらない。しかし自らの最期をデザインすることはむずかしい。だから、まずはどう生きるかを考え、日々を過ごし、ひとつでも多く実践しようとする。

 小説家・村上春樹は『ノルウェイの森』の中で「死は生の対極ではなく、その一部として存在している」と書いた。アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは「死こそ生命がもたらした、この世で唯一最高の発明だ」と語った。

 生と死をどう捉えるか。おそらくこの問いに答えをもたらしてくれるのは宗教だろう。しかしそれとて控えめにいって最大公約数のひとつにすぎない。

 誰もが自分の死から逃れられないし、親しい人や愛する人の死からも逃れられない。しかし先進国といわれる国に生まれ育った人間の多くにとって、死は日常的な出来事や概念ではない。明日も生きているかどうかを気にする人は少なく、ほとんどの人々は明日や翌週、そして来年のことを考え、企む。明日があると信じて疑わない。

 人々はそのために長い時間をかけて社会を形成し、成熟させてきたのだ。ときに他の民族や国と争い、殺し合いながら明日を確固たるものにするために生きてきた。だから明日が来ると信じて今日を生きられることを疑うのはナンセンスともいえる。しかし残念なことにあらゆる生命は必ず死ぬのだから、それは現実的な幻想の域を出ない。

 マン島TTを間近で見ていると、それを強烈に叩きつけられる。時速200km以上の猛スピードで駆け抜けるレーシングバイクから1mも離れていない場所でカメラを構えていても、1周60kmを20分足らずで走破するとはいえグランドスタンドのピットでそれを待つ人間にとっての時間の長さを想像しているときも、厳然たるその事実を思い知らされる。

 ガイ・マーチンは先の映像の中でこんなことを言う。

 「TTを走るライダーは頭のネジが何本か緩んでる。見ればわかる」

 たしかにそうなのだろう。命綱なしのフリークライミングともたとえられるとおり、マン島TTは常軌を逸してこそ走れるレースだ。

 だが、視点をひとつ変えてみれば、バイクやクルマを趣味として走らせている人間は、それをしない人間にとって相似形だ。本誌を作っている人間も、愛読しているあなたも、そして私もやはり頭のネジが緩んでいる。たとえば東京に住んでいるならタクシーを利用したほうが経済的だし、なおかつ安全だ。タクシーに乗っていても事故死する危険はあるが、少なくとも交通事故の加害者にはならない。そう考えている人からすれば、マン島TTを引き合いに出さずとも都内でバイクを走らせることすら自滅行為だ。都内に限らず、夜間の峠道や雨の高速道路だって似たようなものだろう。

 しかし呼吸ひとつが死への一歩である以上、何をしようが何をしまいが五十歩百歩なのだ。なのに、過密なほどたくさんの人間が暮らすこの小さな島国では、そう考える人は少ない。死んだら何もかもがおしまいであり、とくにスポーツで誰かが命を落としたら生き残った誰かに責任を負わせないと気がすまないほど、生の中に死があってはならないこととされる。村上春樹が「死は生の対極ではない」と書いたのは、死が生の対極にあると感じている人が多いからだ。それはこの土地で生き残っていくために効率的で確実な思想なのかもしれない。日本という環境に対する適者生存で、つまり頭のネジがしっかり締まっているということだ。

 もっとも、死という概念が生に内包されるものだとしても、近親者の死が非常に悲しく、残念な事象であることに変わりはない。できうる限り避けねばならないことも同じだ。しかしブリジットが語ったように、それを知ることで人生を、さらに私たちが生きているこの世界と人々をより愛せるようになる。「人は失くして初めてその大切さに気づく」という慣用句に慰めを求めるよりも、生命であれ無機物であれ、存在している今こそその大切さを感じたほうがしあわせに過ごせる。

 マン島を訪れると、そうした概念が空気のように満ちていて、なんというか気分がよく、居心地がいい。だから私は生きている限り、これからもマン島へ行く。

2013年のマン島TT練習走行中に逝去した松下ヨシナリ選手を偲び、有志によって設置されたベンチ。

ボロー墓地にある教会の小部屋には日めくりの追悼帳があり、マン島で亡くなった人の名と存命期間が記される。

ボロー墓地にはTTで亡くなったライダーのメモリアルプレートもある。写真は2006年に逝去した前田 淳選手のもの。


「マン島に見る死生観 Isle of Man」の続きは本誌で

マン島TTとは何か 小林ゆき
最期の瞬間に思うこと 伊丹孝裕
『死を知らずに人生を愛することはできない』 山下 剛


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