BEYOND THE LIMIT 新たなステージへ

日本の自動車文化を新たな段階へ引き上げるためには、日本にもヘリテージが必要だと「オートモービル カウンシル」を開催したカーグラフィック代表の加藤哲也氏。


バイクに乗ることは、趣味という枠を超えてライフスタイルにまで昇華できると
バイクの持つ親和性を信じて、テレビ番組「Ride&Life」を手掛ける江本 陸氏。
自身のライフワークとしてそれぞれの文化の拡大に取り組むふたりに注目してみたい。


オートモビル カウンシルとは何か

 カローラとサニーが発売され、富士スピードウエイがオープンしてから今年でちょうど50年になる。

また日産とプリンス自動車が合併、日本初のプロトタイプ レーシングカーR380が登場したのも同じ年だ。

日本の自動車文化にとってエポックイヤーだった1966年から半世紀にあたる今年、日本にもヘリテージの構築が必要だと「オートモビル カウンシル2016」は開幕された。

日本にヘリテージ文化が誕生した

 毎年2月にパリのポルト・ド・ヴェルサイユで開催される「レトロモビル」は、個人的に大好きなイベントだ。日頃はなかなかお目にかかれない歴史的なクルマ達や「えっ? 現存してたの?」なクルマをたくさん、それも間近で見たり写真を撮ったりすることができるし、自動車に関連するアートを鑑賞することもできるし、自分のクルマ趣味にまつわる本だとかミニチュアだとか小物類だとかパーツ類だとかの掘り出し物を物色したり手に入れたりすることもできる。さらに近年では世界中の自動車メーカーがブースを構え、自分達の現在と過去を繋ぐ素晴らしい展示を見せてくれてたりする。1日どころか2日を費やしても、飽きることなく楽しめる。この地では自動車は完全なる文化なのだという事実を痛感させる、それはそれは分厚いイベントなのだ。

 その日本版が開催されるらしいと耳にしたのは、いつだっただろうか。その中心人物が業界の大先輩であり、ひと頃は同じレースに出場していてコテンパンに打ち砕かれ続けて以来、勝手に兄貴分と思わせてもらっているカーグラフィックのボス、加藤哲也さんだと聞いて、「だったらだいじょうぶだな」と妙に安心したような気持ちになったことは記憶している。荒らすだけ荒らしてトンヅラしちゃうような人じゃないし、見た目のクールさに反して相当な自動車ロマンティストであることを知っていたからだ。

 だから“オートモビル・カウンシル”と名づけられたこのイベントに、僕も当然ながらお邪魔してきた。展示車両およそ120台というのは本家と較べたら少ないけれど、よくぞここまで珠玉といえる貴重なクルマ達が並んだものだ、と感じたのも確かだ。真のクラシックからヤングタイマー、そしてそれらを基にしたレストモッド的な新しい提案まで、いずれも見応えのあるものばかりだった。

 「クラシック・ミーツ・モダン」というテーマの元、トヨタがカローラの50周年、日産がプリンスとの合併50周年、スバルが水平対向エンジン50周年を題材にした展示を行い、マツダが自社のデザインの歴史をフィーチャーしたブースを設け、ボルボがクラシック・モデル専門のワークショップ開設を発表し、アバルトは新型124スパイダーの国内発表をここで行うと共に、かつてのフィアット124アバルト・ラリーを展示、マクラーレンはジャパン・プレミアとなる570GTの向こうに名車F1を並べるなど、自動車メーカーやインポーターが賛同の姿勢を示していたのも素晴らしかった。日本が誇るべきアーティスト達も作品を展示販売し、クルマ好き達が心躍らせてしまうショップも並び、開催初年度ということを考えると、期待した以上のイベントになっていたと思う。唯一コケそうになったのは、展示車両に中古車屋さんの店頭と同じような車両価格の表示がされていたこと。本家のレトロモビルもクルマの展示即売会としての意味合いは大きいが、入場料を払って訪れるお客さんを幻滅させるような表示の仕方はまず見られない。これは、このイベントを気に入ったからこその、期待を込めた提案でもある。

 とても静かで落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりと気ままにクルマを眺めて歩けたり、知人に会ってクルマ談義に花を咲かせたりできた1日は、本家レトロモビルとすでに同じような充足感を与えてくれるものだった。ひとりのクルマ好きとして、存分に楽しませていただくことができた。

 加藤さんが〝カーグラフィック〟の名前をあえて冠にしなかったのは、こうした世界観をひとつのメディアの功績としてそこに閉じ込めるのではなく、それが大きく広がっていくのを目指していることの証だろう。すでに来年の開催もアナウンスされている。僕が陰で何かできることはないか? なんて考えてしまうほど、その日が来るのが待ち遠しい。

文・嶋田智之 写真・Automobile Council


「日本の自動車文化を新たなステージへ引き上げたい」

オートモビル カウンシル 実行委員代表 加藤哲也氏インタビュー

■いつ頃から今回のような自動車ショーを実現しようと考えてこられたのですか。

 仕事柄、ヨーロッパへ行くことが多く、ずっと以前から日本とヨーロッパの自動車文化の成熟度の差を身に沁みて感じていたんです。「カーグラフィック」は1962年の創刊当時から自動車文化の重要性を訴え続けてきたわけですが、それだけではダメなんだとはっきり思ったのが2、3年前でした。雑誌の中だけでは限界があって、自動車業界全体を巻き込んだアクションを起こしていかないと日本に自動車文化は根付かないと考えたんです。日本ではクルマは燃費、価格、税金の減免などで選択されることが多く、自動運転技術のクルマが増えてくると益々その傾向は強くなるだろうと危機感を覚えました。

■開催するにあたり、どのような準備をされたのでしょうか。

 まずは、取材ではなく視察という形でパリの「レトロモビル」を見に行きました。昨年の2月のことです。そのまま翌週トリノでレトロモビルをスケールダウンしたようなイベントにも行きました。内田盾男さんや宮川秀之さんともお会いして相談に乗ってもらいましたし、レトロモビルの主催者にも話を聞きました。そのときにはすでに「やろう」と決めていたので、かなり具体的なノウハウを探っていたのですが、驚くほど情報を公開してくれました。それには理由があって、彼は小林彰太郎さんのブガッティ仲間だったんですね。「だっておまえは、カーグラフィックなんだろ? 」と。亡くなってもまだ小林さんに助けられてるんだ、と思いましたね。

■レトロモビルはクラシックカー中心のイベントですが、オートモビルカウンシルは現代のクルマにも比重を置いているように見えました。

 レトロモビルに限らず、もっと規模の大きいドイツの「テクノクラシカテッセン」も現代車の展示はありますが、基本的にヒストリックカーがメインのイベントです。でも僕がやりたかったのは、〝クラシック・ミーツ・モダン〟です。自動車のヘリテージを知ることが、今の自動車の魅力もより際立たせることにつながる。そういう感覚を表現したかったからです。

■ヨーロッパではクラシックカーのイベントにもメーカーは積極的に参加しているようですね。

 レトロモビルにはプジョー・シトロエン、ルノーも毎年参加していますし、イギリスのグッドウッドにもほとんどのメーカーが出てきています。そうやってメーカーがヘリテージのイベントを積極的に支援するという体制ができている。一方、日本は新車のセールスプロモーションには積極的にアクションを起こすし、お金も労力もつぎ込むけど、そこに至る文脈には目を向けてこなかった。それでは文化は根付かないと思うんです。だからヘリテージと新車を一緒に並べたかったんです。ヘリテージを扱う販売店やオーナーズクラブ、そして自動車メーカーを一堂に会して、一緒にアピールする。販売店に出ていただくことによって、来場した方々は見るだけじゃなくて、自分で手に入れることもできる。そうやってクルマを楽しみ、次世代にバトンタッチして行く場を作ろうとしたんです。

■マツダはこのイベントをロードスターND・RFの日本での発表の場にしましたし、アバルト124スパイダーのローンチも行われました。自動車関連の小物や、アートなどを扱うマルシェも賑わっていましたし、ショーに展示されているクルマを実際に購入できるというのも新鮮でした。しかし一番印象に残ったのは、日本にはすでにクルマのヘリテージが存在しているんだ、ということです。

 その通りです。これまで我々自身がそこに目を向けて来なかっただけで、日本にも歴史を彩った名車と言われるクルマがたくさんあります。それに一番気付いていないのが日本なんです。むしろ海外の方が日本のクルマを高く評価している。その結果、日本の名車が海外に流出し始めていることにも気付いてほしいですね。

■ヘリテージを表現することで、韓国や中国と日本は差別化できるという考えを詳しく説明して下さい。

 韓国や中国の勢いは侮れません。日本だってヨーロッパやアメリカの技術をキャッチアップしてきたわけだから、日本が技術をキャッチアップされても不思議はないわけです。ではアジア諸国と差別化できるのは何なのか。彼らになくて我々にあるのは、戦後だけに限っても、自動車産業の70年の歴史です。そこにフィーチャーしない手はないし、そこが最大の違いです。ヨーロッパはヘリテージを大切にする精神があるから、繰り返し振り返ることで自分たちのクルマ作りに影響を与えているわけです。自分たちのコアなバリューがどこにあるかを常に見ながら、次のクルマをつくっている。口幅ったい言い方だけど、このイベントが、各ブランドごとの今後の自動車の方向性を考えるきっかけになったら有難いと思っています。

■ヘリテージカーには囲いもなく、触れられるくらい近くで見られる。クルマを傷付けられるかも、という心配はありませんでしたか。

 リスクという意味では、不安は尽きなかったですね。億を超えるクルマも何台かありましたから。そういう意味だけではないんですが、場所の雰囲気、空間作りにはかなりこだわりました。ひとつのスペースあたり何台という制約もつけた。贅沢な空間にすることで、「変なことはできないぞ」という空気は作れたと思います。出展者の皆さんもそういうところに共感してくださって、クルマの色に至るまで気を遣ってくれました。自分たちの美学や審美眼を表現する場だと考えてくださる方が多かったことが、今回の空間クオリティと安全につながったと思っています。現時点でクルマに傷がついたという報告は受けていません。

■今後の「オートモビル カウンシル」の展望を聞かせて下さい。

 集客力、スケール、クオリティをもっと上げていかないといけないと思っています。東南アジアやヨーロッパ、アメリカからも人が来てくれるようになればいいですし、このイベントを何か別のイベントのスタート地点やゴール地点にするというようなことも考えています。

 長年に渡ってカーグラフィックの出版事業を続けてきましたが、自動車文化を根付かせることが完全にはできていないという反省もあって、自分はその責任を負う立場でもあると思っているんです。オートモビルカウンシルを育てていくことで、自動車文化を次世代につなげていきたいと思っています。、こういうイベントは1年2年やるだけではだめで、継続することが何よりも重要であると考えています。

まとめ・若林葉子 写真・長谷川徹

1959年東京生まれ。二玄社に入社後、自動車雑誌『カーグラフィック』に配属され、副編集長、編集長を歴任。2010年には二玄社から『カーグラフィック』の発行を引き継ぎ、株式会社カーグラフィックを設立。代表取締役社長に就任。Automobile Council実行委員会代表。

レトロモビル
毎年2月初旬に行われるクラシックカーのモーターショーともいうべき祭典。始まりはバスティーユ駅舎跡を会場にした小さな部品交換会だったが、41回目となった2016年には来場者11万人を数えるイベントにまで成長した。

内田盾男
1965年にイタリアに渡り、名門カロッツェリア・ミケロッティに入社。1970年にチーフデザイナーとなり、その後、副社長を経て、1988年からデザイン・コンサルタント会社「FORUM」を主催。トリノ在住。

宮川秀之
かの天才、ジョルジェット・ジウジアーロとともに1968年にイタルデザインを創設。知る人ぞ知るジウジアーロのパートナーであり、イタリアと日本の自動車業界の架け橋となった。

小林彰太郎
1929年11月12日~2013年10月28日。自動車評論家。1962年に『カーグラフィック』を創刊。日本を代表する自動車雑誌に育てた。第二次世界大戦後の日本に自動車ジャーナリズムを生み出したパイオニアであり、日本の自動車文化に大きな影響を与えた。


「特集 BEYOND THE LIMIT 新たなステージへ」の続きは本誌で

オートモビル カウンシルとは何か
「日本にヘリテージ文化が誕生した」嶋田智之
「日本の自動車文化を新たなステージへ引き上げたい」
-加藤哲也氏インタビュー

江本 陸のRide & Life 山下 剛


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