JPSに憧れていたころ

日本で初めてF1が開催された1976年の勝者は、「ロータス77」を駆るマリオ・アンドレッティだった。実はこの頃のJPSの文字やラインは金ではなくベージュで描かれている。テレビに映った際、金色として見えるように工夫されていたのだ。当時は手塗り仕上げだったので、近くで見ると刷毛の跡が分かる。

 黒い車体に金色の文字で「John Player Special」と書かれたJPSカラーを初めて見たのは1976年の「F1イン・ジャパン」だった。

 レーシングカーは赤や青、もしくは白など目立つ色しか使わないと思っていたので、黒と金を纏ったロータスのF1マシンに衝撃を受けたことを覚えている。そのレースはチャンピオン争いの佳境だったことから、フェラーリとマールボロカラーのマクラーレンに注目が集まっていたが、優勝したのはJPSカラーのロータスだった。

 それから9年後の1985年、アイルトン・セナが初優勝を遂げたのもJPSカラーに彩られたロータスだ。セナは同郷のエマーソン・フィッティパルディにタイトルをもたらした「JPSロータス」に思い入れを持っていたらしく、1987年の開幕を前にロータスがJPSカラーをやめることを知って、「聞いていなかった」と契約内容の変更を要求したという。しかしその後、JPSが公式な形でF1の世界に戻って来ることはなかった。

 JPSカラーは決して地味ではないが、脚光を浴びるヒーローというよりも、一歩引いた大人のイメージがある。派手さを抑えながら存在感を醸し出す“いぶし銀”的な渋さを感じさせるのだ。そのせいかロータスファンに限らず、JPSそのものにもファンが多い。またロータスは当然として、JPSにスポンサードされたバイクメーカーのノートンも黒と金を組み合わせたJPSイメージの市販車を現在もラインアップしている。

 かつてこれほどまで長く、そして深く愛されたカラーリングはない。今ではJPSと無関係であっても黒地に金の配色のことを通称でJPSカラーと呼ぶほどポピュラーな存在となった。ある意味でJPSカラーはモータースポーツの枠を越えたひとつの文化だと言えるだろう。

文・神尾 成/写真・原 富治雄

日本でF1の全戦テレビ中継が始まったのは1987年だったので、アイルトン・セナとJPSロータスがタッグを組んでいたことを知らない人も多い。しかしJPSロータス時代のセナは、32戦中15回もポールを獲る活躍を見せていた。

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