元F1パイロットの、ヘイキ・コバライネンとタッグを組む。
富士スピードウェイのピットには真新しいレーシングスーツに身を包んだ平手晃平がいた。そこは平手にとって通い慣れたホームコースであり仕事場。しかし、いつもと違っていたのはスーツの素材が耐火性のそれではなく、レザーだったこと。
そして暖気を終えてスタンバイされていた車両がGT500のためのレクサスRC Fではなく、ヤマハの新型スーパースポーツ、YZF-R1だったことだ。
4輪ならこれまで1万周近くは走り、脳内にはありとあらゆる情報が叩き込まれている。ブレーキングポイント、路面のカント、ライン取り……。それらを正確に積み重ね、ベストタイムを目指して再現していくことが平手に求められる能力であり、仕事だからだ。なのにタイヤが2つ減っただけでそこは未知の場所になった。GT500なら1コーナーの手前、100m看板を目安にブレーキングを開始。ライバルをパッシングする時はそれを超えることにも躊躇はないが、2輪ではストレートでスロットルを開けることさえプレッシャーになった。
「1コーナーは400mくらい手前から減速の準備に入っていましたよ」
この日が2輪のサーキットデビューになった’13年のGT500王者はそう笑い、あまりの勝手の違いにとまどいながらもその刺激を楽しんでいた。
かつて2輪と4輪のレーサーの道が比較的近く、あるいは繋がっていた時代があった。高橋国光、長谷見昌弘、星野一義らがその最たる例だが、彼らは皆ライダーとしてもドライバーとしても成功してきたのだ。モータースポーツの低年齢化や競技の裾野が広がった近年ではそうした事例が少なくなったものの、本山哲や谷口信輝のようにミニバイクで頭角を現した後、4輪へ転向した例があるように両方のカテゴリーを知る者は今も少なくない。ただしいずれも2輪が先で4輪が後。その図式は変わらないのだ。
そんな中、平手は独特のアプローチで2輪と4輪それぞれの世界を行き来しようとしている。もちろん、これからプロライダーを目指そうというわけではないがライディングを知ることで得られる学びがあるのだと言う。
「GT500のタイトルを獲った年、僕はヤマハのモトGPライダー、ホルヘ・ロレンソの走りをひとつの理想にしてシーズンを戦っていたんです。スタート直後の温まりきっていないタイヤとフルタンクの状態でプッシュするあのスタイルが一例で、いち早く限界を見極められるセンサーがないとあの戦略は取れません。ホンダのマルケスが限界を超えたところでコントロールできるタイプだとしたら、ロレンソはそのギリギリを積み重ねていけるタイプ。どちらがレーシングドライバー的かと言えばロレンソの方でしょうね。実際それを想定したテストも行っていたんですよ」と語る。
2輪の免許は昨年取得。以来ロレンソが見ている景色が格段にリアルに感じられるようになった。今、平手が切り開こうとしている新しいドライビングに2輪から受けるインスピレーションが欠かせないものになろうとしているのだ。
平手晃平 Kouhei Hirate