「自由でありたい」というのはバイクに乗る本来の目的のひとつであろう。あらゆるものから精神的にも物理的にも開放されたい。
それがバイクという実用性に乏しい、趣味の世界の乗り物に乗りつづける理由の一つであることは間違いない。
だが我々ライダーはいつの間にかカテゴリーやブランドといった既成概念に縛られていないだろうか。「このバイクはスポーツバイクだからフルフェイスに革ツナギが必要」「アメリカンに乗るならWの革ジャンでしょ」「このブランドのバイクに乗るならコッチ系のウェアじゃなきゃ」などなど。本来、自由なはずのバイクという乗り物を、ライダー自身が蔓延している既成概念で縛りすぎているのではないかと感じるのだ。
もちろん、ある程度の方向性を決めることは悪いことではない。コーディネートだって必要だ。けれど、従来からあるありきたりな既成概念によって必要以上に縛られるのはどうだろうか。しかもその縛りによってバイクに乗ることが面倒くさくなってしまうとしたら問題だ。ハードによって自由が規制されてしまうのは本末転倒ではないかと思うのだ。
だから最近、そのカテゴリーなどの縛りから離れたバイクの存在が気になる。自分の中ではその筆頭がKTMの690DUKEだ。KTMはネイキッドとカテゴライズしているが、日本人が思う純粋なネイキッドとは異なるシルエットだ。じゃあモタード? いや、サスが長めとはいえ、そこまでオフ車イメージはない。では690DUKEは何なのだろうか。
車両本体価格:925,000円(税込)
総排気量:690cc 最高出力:50kW(68hp)/7,500rpm 最大トルク:70Nm/5,500rpm
*カラーリングは日本仕様と異なります。
KTMにしてみれば、その疑問自体がナンセンス。純粋に〝何時、どんな場所でもライダーの思い通りに走ることができる爽快なバイク〟を作りたいという想いがカタチになっただけなのだ。だから690DUKEからは「ネイキッドが好きなユーザーに向けて」とか「他社の○○に対抗して」といった意図が感じられない。純粋にFREEな存在なのだ。
存在が自由だから使い方も自由だ。軽量な車体は、通勤などのちょっとした街中の移動でコミューター的に使っても不自由しない。また扱いやすいエンジン特性とアップライトなポジションで、日帰りの軽いツーリングからワインディング走行まで軽々とこなす。パニアケースなどの純正オプションを装着すればロングツーリング可能なツアラーにも変化する。そのうえワンメイクレースが開催されるほどのポテンシャルがあるので、本気の走りがしたい時も受け入れてくれる。実にフレキシブルなではないか。
フルフェイスでもジェットでも、オフロードヘルメットでも似合ってしまう690DUKEの自由さに惹かれるのは、今の日常生活に少し堅苦しさを感じているからだろう。そこから一時でも脱出できる自由な翼。690DUKEなら初めてバイクに乗った時に感じた〝肉体と精神の開放感〟を再び味わえるかもしれない。そんな思いに駆られるのだ。
1,190,000円(税込)
総排気量:690cc 最高出力:50kW(68hp)/7,500rpm 最大トルク:70Nm/5,500rpm
*カラーリングは日本仕様と異なります。