なぜ私はSUZUKIなのか vol.6(最終回)スズキのモノ造りのフィロソフィー

GS650GがED1、KATANAがED2、写真のGSX1100EZ(赤)とGSX400E3カタナ(銀)はED3 と呼ばれるデザイン案から製作された。EDとはヨーロッパデザインの意味である。‘80年代初頭、信頼性において確固たる地位を築いたスズキは、デザインに対して新たなチャレンジをはじめていた。

 GSX400E3カタナ、GSX400FWS、GS650G1、GSX750S1、GSX-R1100J、GSX1100EZ、DR250R、GSF1200…。

 個人的に購入したスズキ車だけでも10台以上、自分の名義ではなかったものの自由に乗れる状態にあったスズキ車を含めると20台以上のスズキのオートバイを乗り継いできた。この連載は自分以外でスズキに拘っているひとの話を聞いてみたくなったのがきっかけだった。そして予想通りに何人かが信頼性をスズキの魅力にあげている。スズキの真面目さが彼らにスズキを選ばせていたのだ。

 間違いなくスズキには〝バカ〟が付くほどの真面目さがある。例えば多額の開発費を投じたリッタースポーツが旧型になった際、エンジンやシャーシをコストを還元するため、化粧直しをしてネイキッドモデルに転用するのが当たり前となっているが、スズキは最近までそれをやらなかった。ある関係者によると、実験的にGSX-R1000をネイキッドにしたところ、社内基準の操縦安定性を確保できなかったので開発が許可されなかったのだという。〝フロント16インチ〟の全盛時代に登場したGSX-R750も同じ理由から懐古趣味的な18インチにして発売された逸話は有名だ(耐久レーサーと同じにしたという理由もある)。また、ハヤブサの最高速度が300キロを超えて注目を集めた時も、当のスズキは「究極のグランドツアラーを追求した結果でしかない」と、いたって平静だった。確かにハヤブサは世界最速でありながら、箱根の七曲りや市街地でも重量車だということを忘れさせるくらい乗り易い車両になっている。

 いつの時代もスズキのオートバイは本質的な面で流行に惑わされることがない。ライダーに無駄な緊張感を抱かせず、どのような状況でもライディングに集中できることを第一に考えているのだ。これはオートバイという危険な乗り物を製作する上で本来一番大切にされることのはず。他メーカーがもっと楽な方法で商売をしていても、自分の知る限りスズキはこの伝統を守り通している。いわゆる頑固な職人気質こそスズキらしさなのである。愚直な生真面目さや、時流に乗り切れない不器用さはスズキの個性だとも言えるだろう。

 改めてなぜ自分がスズキを乗り継いできたのかを考えるてみると、このオートバイ造りの姿勢に敬意を持っていたからに他ならない。よくスズキのオートバイは、軽自動車のイメージがするとか、誰かの名字みたいだとか、どこかオタクっぽいとか言われてきたが、それは日本国内だけのこと。欧州のライダーは信頼性が高くパフォーマンスに優れたスズキをタフでクールなブランドだと見ている。グローバルな観点が求められる現代、日本でもスズキのイメージが向上することをスズキのオートバイに育てられた者として切に願う。

文・神尾 成

Sei Kamio

1964年生まれ 新聞社のプレスライダー、アフターバイクパーツの企画開発、カスタムバイクのセットアップなどに従事してきた編集者としては異色のキャリアを持つ本誌5代目の現編集長。スズキ空冷GSXシリーズの造詣が深く、1000台近い1100カタナの試乗経験がある。写真は当時の本人所有車両。

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