おしゃべりなクルマたち Vol.78 ジェネレーションギャップ

 念願の自動車免許を昨年、取得した息子はしかし、自分のクルマを持たぬまま、年を越し、1月を終え、2月の声を聞いてもいまだ運命のヒトに出会えずにいる。

 1年以上も前からクルマ選びを開始して、まだ早いとブレーキをかけたのは親の方だったのに、何をぐずぐずしているのだと、こちらが喝を入れる毎日。母親のクルマを借りるなど男の威厳にかかわる、みたいなことをのたまわっていたくせに、今や私のパンダがあいていると知ると、嬉しげにキーを手にする。「クルマ、借りるね。帰りにバゲット、買って来ようか」、こんなちゃらけたことを言うから開いた口がふさがらない。

 といってもクルマ選びを放棄したわけではもちろんなくて、本人いわく、妥協して後悔したくないだけ、キミはやっぱり若いのである。伴侶を選ぶわけじゃなし、相手はクルマよ、取っ替え引っ替え、いろんなタイプに乗ればいいじゃないと取っ替え引っ替えしてきた母は思うわけだが、そう言うと青二才に睨まれる。「別に世界に数台しかないクルマを探しているわけじゃない。大量生産された大衆車だ。だから待つ。出会うまで待つ」

 言い忘れたが、旧型ビートルから(いや、シビックかゴルフかロードスターだったような気もする)始まった彼のクルマ選びは最終的にVWポロで落ち着いた。もちろん中古。「お前、本気か」、これが最初に聞かされた時のダンナの反応。どうしてポロに落ち着いたのか、正直なところ、いまだ私にもわからない。本人に言わせると部品のアフターマーケットが充実していて、値段(予算30万円)と程度のバランスがよく、スタイルがあるから。息子はマッチョではないが見た目も性格も繊細なタイプではまったくない。豪快とはいわないが堅実とも程遠い。「お前にまったく似合わない」とダンナには不評だが、それを笑い飛ばす息子の横で娘が「お兄ちゃんの聞いてる音楽とかファッションとか友達の雰囲気とかにポロ、合ってる」と言い、彼女の言葉に驚いた。

 私には、ポロは味の薄さを自分のポジションとする小型車で、それをスタイルととらえるには無理があると感じられる。なにより、ポロの雰囲気に合う音楽やファッションがあって、 “人種 “がいて、そのカテゴリーに我が息子が属している。これが私には不思議であった。私が知るポロと彼らのポロは別世界にいる、そういうことだろう。百年、年取った気分。

 ライトは丸目、色は白、2ドア、走行距離10万キロ以下、これを条件に、最初は我が家か、彼が通う大学のある地方に限ってインターネットで探していたが、2月に入ってさすがに焦りはじめたのか、区域をパリまで広げて探している模様。中古で探す場合、ボデイカラーを限定するとまず、見つからない、と私は思うのだけれど、今のところ、黙っている。これも彼にとっては勉強になるから、ではなく、ヒョイっと出てくることがあるから。これがクルマ探しの面白さだ。

 春までにはなんとか見つけてもらいたいもの。サクラは果たして咲くのだろうか。

文・松本 葉

Yo Matsumoto

コラムニスト。鎌倉生まれ鎌倉育ち。『NAVI』(二玄社)の編集者を経て、80年代の終わりに、単身イタリアへ渡る。イタリア在住中に、クルマのデザイナーであるご主人と出会い、現在は南仏で、一男一女の子育てと執筆活動に勤しんでいる。著書:『愛しのティーナ』『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)など。

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