高市早苗総理は日本の自動車業界にとって英雄になるのか。
EVブームが失速する中で水素自動車は次なる救世主となれるのか。そして世界的に躍進し続けているBYDが発表した軽自動車は中国からの刺客なのか。はたまたアラ還ライダーが次に乗るバイクは現れるのか。

高市総理は自動車産業にとって英雄か悪漢か
文・池田直渡
高市政権のコンサバティブな手段
高市政権と自動車政策について書いてくれと編集部からお題がやってきた。編集部としては、高市さんがヨシムラサイクロンを付けたZ400GPに乗ってたとか、スープラに乗ってたという辺りを持って来て、“ボクらクルマ好きの仲間”という文脈にしたかったのかもしれないが、それには乗ってあげない。ことはプロフェッショナリティの領域。一国のトップである。自動車産業550万人の浮沈がかかっている現況で、「いちクルマ好き」の私見で政治判断を変えられては困るのだ。
一方、確かに環境活動家崩れで、私的に自動車産業に敵対的な政治家がしたEV熱狂時代は常軌を逸していた。極端なEV推進派として筆者が想定しているのは河野太郎議員や小泉進次郎議員だが、そういう私的判断を論外とするならば、EV推進派もクルマ好きの仲間も、どちらも等価の話である。
現在の我が国にとって、自動車産業が自国経済の大黒柱であることを理解した上で、日本の自動車産業にとって第二の母国であるアメリカ市場で、不利な条件にならない様に防戦するのは政治家に取って当たり前の責務である。もちろんバランスの良い判断の上で、時代に応じたアップデートを促進するのは大切なことではあるのだが、世界に冠たる乗用車8メーカーの経営者を超える情報量と判断力を持つ人材がそうそういるとも思えない。メーカー首脳とどうしても方向性が合わないのだとすれば、餅は餅屋に任せておいた方が良いだろう。
さてその高市新首相だが、一部左派論壇では、トランプ大統領との会談を「米国に隷属的過ぎる」と釘さすだけでなく、「女性が男に媚びて出世する絵図」だとまで言う向きがいるが、そもそも、我が国の戦後の首相が米大統領に対して毅然と対立的態度を取ったことなど記憶にない。別に卑下しているわけではない。それが外交なのだ。マウントを取って尊大に振る舞うことに政治的な意味は皆無だ。外交手段として礼を尽くすことで、交渉を有利に進めるバチバチの戦いであるからこそ歴代首相はそうしてきたのだ。高市さんはそういう意味でコンサバティブな手段を取っただけのことである。
最後に損をするアメリカ
これまでの第二次トランプ政権の政策を見てきて思うのは、多分彼に落とし所はない。対日だけならともかく、カナダやメキシコやEUを筆頭に、トンデモない数の国にディール(取引)を持ちかけているのを見ると、それらが全体像として紡ぎ出す落とし所を意図してコントロールするのは不可能だと思う。相互に複雑に絡まる多方面作戦の多重結合に落とし所を求めるのは無理がある。
好むと好まざるに関わらず、そういう手法は出たとこ勝負。むしろナンパと一緒で向こうから歩いてくる女の子に片っ端から声をかけてみて、立ち止まった相手にディールしてみている様なものだ。そんなことをやった結果、アメリカは国際的信頼を失った。NAFTA(北米自由貿易協定)からUSMCA(米国・メキシコ・カナダ協定)へと続く非関税自由貿易圏を反故にしたことは大きな失態だと思う。世界中の自動車メーカーはアメリカ政府が世界に向けて約束したUSMCAを前提にカナダとメキシコに投資したが、これらのエリアが国家元首の突然の思いつきで非関税エリアではなくなるとすれば、由々しき問題である。
ただこれによって最も被害を被るのは他ならぬ米国のビッグ3だ。GMもフォードもクライスラー(ステランティス)もえらい目に遭う。なぜなら彼らの部品調達や生産、販売先のほぼ全てがこのUSMCAの域内で行われているからだ。トランプ大統領による課税と、カナダとメキシコからのそれに対する報復課税の支配が吹き荒ぶ地域で全ての事業を回すのは悪夢である。例えば部品によっては米国とメキシコの間で6回往復して完成すると聞く。すると関税の27.5%が6回課税される。計算すると100ドルの部品は430ドルになる。さすがに全ての部品が国境を6回越えるわけではないとしても、米国内で販売されるクルマの価格はまず2倍を越えるだろう。しかもそのクルマをカナダに売るには、また27.5%が課税される。トランプ関税前、つまりUSMCAが正く稼働していた時代に3万ドルだったクルマは、雑な計算上では倍になって米国内価格が6万ドルに、カナダでの価格は7万6,500ドルになる。これでは売れるわけがない。

関税政策のやり過ごし方
米国以外のメーカー、例えばトランプ関税の影響で危ないと言われてきたマツダは、日本の工場で作ってカナダに輸出している限り、トランプ関税とその報復関税の影響はゼロである。つまりトランプ関税に関する限り、USMCA域外に工場があれば実害ゼロで済ませられる。以前通りに3万ドルで売れるのだ。米国のいうことを信じてUSMCA圏内に投資してしまった部分は、今回の米国の手のひら返しで損失になるかも知れない。それはつまり投資が回収できなくなるわけだが、それはもう残念ながら諦めるしかない。
しかしながら、米国メーカーと日本のメーカーでは被害の及ぶ範囲がだいぶ違う。USMCA圏への投資が部分に過ぎない日本の方が、ほとんど全ての事業がUSMCA圏で行われている米系メーカーに比べて圧倒的に有利なのだ。米国向けの輸出と米国工場製の車両だけ関税影響を受ける。米国工場製のクルマはその6割から8割がカナダまたはメキシコ製の部品だから、結局課税されるのである。それでも米系メーカーに比べれば、限られた数の米国内工場での生産分の当該部品比率だけ関税を甘受すれば済むので被害は軽微である。
日米の交渉は15%に落ち着いた。それは実質的に日本の勝利と言って良い条件だ。もうそれを維持さえできれば、相対的には日本の勝ちである。というか構造的に見ればアメリカ企業が自らの政府の援護射撃のつもりの火線に被弾しまくっている状況だから、むしろこの状態を可能な限り荒立てずに維持することが望ましい。つまり、高市首相はそれにヒビを入れる様なことさえしなければ良い。これまでの動きを見る限り、高市首相はその勘所がわかっている様に思う。なので自動車産業に取っては、良き流れになっていると感じる。まあ関税なんてないに越したことはないので、あくまでも不幸中の幸いという意味においてだが。
ちなみにUSMCA圏の米国、カナダ、メキシコの物価を天空高く舞い上がらせるであろうトランプ大統領の関税政策は長くは続かない。インフレという経済の自動バランサーが働くことにより、政権がもたない。どこかで必ず撤回されることになる。市場経済のメカニズムに戦いを挑むのは、引力と戦う様なもので、どんなに強い権力を持っていようが勝ち目はない。ちなみに政策を撤廃すればUSMCAへの投資は再度意味を取り戻すので、とにかくジタバタしないでじっと頭を低くしてやり過ごすことだ。

小泉進次郎のこと
だから、高市政権は無理で難しい交渉をまとめる必要はなく、ただ、トランプ大統領の不興を買わないことだけしていれば良い。高市さんの政策全般のことは知らないが、少なくとも自動車産業に関する限りそこはすでにほぼ整理済みで割とイージーウェイができているのだ。そもそもすでにあの熱病の様なEVブームも落ち着いて、できることだけを着々とやる流れになっている。
今のタイミングだと、極論を言えば小泉進次郎氏が首相になっていたとしても、強引にEVシフトに舵を切ることはできないだろう。良くも悪くも小泉氏には定見がなく、流れに乗っかるタイプである。「環境の時代」と聞けば環境大正義の政策を取るし、今の様に環境問題が鎮静化していれば、どっちでも良くなる。風見鶏的な政治家だと思う。だから実は筆者はなんならこのタイミングで小泉氏が総裁になった方が良かったとさえ思っている。定見のない人がEVブームの様なトリッキーかつピーキーな時にトップに立つと、弱気をくじき強気を助ける政策を後押しする。
首相候補というのは、落ちたらまた次回の候補になる。大体において、最初の数回は泡沫候補扱いで、参加することに意味があるレベルである。今回で言えば小林鷹之自由民主党政務調査会長がそうだった。そうやって何回か総裁選での実績を積んで、徐々に総裁の座を本当の意味で争う有力候補になっていく。その後は落ちたとしてもよっぽどのことがない限り次期候補であり続ける。よっぽどのことがあったのは最近で言えば河野太郎議員の様なケースだけだ。つまり小泉氏はこれから2、3回は有力候補であり続ける。不定見な彼が悪いタイミングで総裁になると目も当てられないので、自動車産業の側から考えると、むしろすでに状況整理が済んでいる今回にその貴重なカードを使って、“過去の総理経験者”になってもらった方が先行き安心できた様にも思うのだ。
なので、個人的見解としては、今回小泉氏が勝って短期政権で高市さんにスイッチの方が後顧の憂いがなくて良かったとは思うが、すでに高市政権がスタートしてしまっており、しかも今のところ上手くやっているところを見ると、高市さんに不満はひとつもない。むしろかくなる上は長期政権になって小泉氏がピークアウトしてくれるとありがたい様にも思える。
池田直渡/Naoto Ikeda
「英雄と悪漢」の続きは本誌で
高市総理は自動車産業にとって英雄か悪漢か 池田直渡
水素燃料はクルマの英雄になりうる 世良耕太
BYDは中国からの刺客なのか 山本シンヤ
スズキ DR-Z4SMはアラ還ライダーの救世主だった 横田和彦
