ディフェンスとオフェンスが混じり合う街をドライブする

文/写真・中兼雅之

横浜は、古きものと新しきものが織りなす街だ。

赤レンガ倉庫をはじめとした歴史を刻む建造物が点在する一方で、みなとみらい21地区の近未来的な高層ビル群は今なおその姿を変えつつ、新たな息吹を吹き込んでいる。国内外から多くの人が訪れる有数の観光地でもある横浜だが、横浜市には370万人以上が暮らし、それがまたこの街のありようを形づくっている。そんな横浜の重層的な風景の中を走っていると、知らず知らずのうちに心との対話が始まっていく。

 80年代まで地元の北海道で過ごした私は、1991年に就職のため上京した。

 少しでもいい大学に入り、誰もが知る大手企業に就職し、借金してでもいいクルマに乗り、モテるためにブランド物の服に身を包むことが価値あることだと錯覚していた時代。そこから脱落した者は、まるで敗者であるかのような風潮さえあった当時の社会は、右肩上がりの“オフェンス”モードだった。バブルという成長神話のもと、リスクを恐れず物質的な成功という目標に向けて邁進することが奨励されたそのオフェンス社会に、20代の私もまた、迷うことなく飛び込んでいった。

 当時の社会を投影したクルマやバイクもまた、スピード、パワー、贅沢さが追求され、コスト度外視の先進技術が惜しみなく投入された。最高のものを手に入れ、その優位性を誇示するという当時の空気感を体現するかのように。

 編集部から、昨年購入したばかりのランドクルーザー70(以下、ナナマル)で横浜をドライブし、その歴史や魅力を文章にしてほしいと声をかけられ、軽い気持ちでOKした。しかし今、こうして実際にハンドルを握って横浜の街を走らせてみると、これは引き受けるべきではなかったかも、と若干の不安が湧いてくる。

 ずっと東京の、しかも北西部に暮らしてきた私にとって、横浜は馴染みが薄い。もちろんクルマの試乗会などでは何度も来ているが、仕事を除けば非日常の場であって、あまりにも自分は横浜を知らなさすぎる。頭を使った原稿は書けても、気持ちのこもった文章は書くことができないのではないか。これは困ったぞ…。しかし引き受けた以上、何かを見つけなければ。そう思いながら、本牧や元町、みなとみらいをぐるぐると走っているうちに、いつしか私は自分の来し方に思いを馳せていた。

 北海道から上京し、「24時間働けますか」のCMが象徴する社会に飛び込んだ私だったが、あっという間に40年もの時を経た。そして気がつくと日本の経済構造、価値観、成功の定義は根本的に書き換えられていた。バブル崩壊以降の社会は、経済の停滞と技術革新による構造的変化に直面し、社会のオフェンス要素が減速すると共に、個人に自己防衛としての“ディフェンス”の責任が転嫁された。終身雇用の幻想が崩壊し、自らのキャリアを自己責任でマネジメントするという“ディフェンス”を迫られる社会に変わったのだった。

 その渦中、私は卒業後に入った会社でいくつもの事業を立ち上げては壊す仕事を繰り返しながら、常に、何のために生きているのか、を自問していた。結婚して息子が生まれ、仕事と子育てで多忙な日々だったキャリアピークの40歳の時、突然、妻が統合失調症という病を発症した。生活も心も崩壊し、地獄のような日々が始まった。仕事も生活もオフェンスどころではなくなり、ディフェンスモードに切り替えざるを得なくなった。

 この地獄は50歳まで10年続き、息子が小学校6年生の時、彼の将来を考えた挙句、彼の母親である妻を、私と息子から切り離す決断をすることになる。

 息子との2人暮らしが始まり、自動車メディアの編集部に異動したての私が、無理をして10年ローンで中古のポルシェ911(997、以下911)を購入したのは、高級車を所有し、自慢したいというステータスが目的ではない。911という非日常的空間は、行き詰まっていた毎日に少しでも希望の光を見出し、悩みを抱える息子とコミュニケーションを維持する唯一の空間としての意味が大きかった。911は、私と息子にとって「心のシェルター」だった。

 息子は成長し、今、異国の地で、かつての20代の私のようなオフェンス期にいる。私は彼に「ああしろ、こうしろ」とは言えない。当時の私が、父の生き方に反発し、自分の力を証明しようとしたように、今の私は、息子の試行錯誤を静かに見守るディフェンスの役割に回るしかない。息子の中に、かつての自分のエゴや未熟さを見ることに深い感慨はあるが、40年の時を超えて、私と息子が同じ場所に立っているのは不思議な感覚だ。確かに言えることは、あの地獄の経験のお陰で、壊れた魂を磨き直しながら、必死でアイデンティティを守り抜き、これまで生き抜いてこられた。私と息子には必要なプロセスだった。

 様々な経験を積み、会社を辞め、還暦を迎えた私の中で、金銭的成功や社会的地位といったオフェンス志向は鳴りを潜めた。挫折、失敗、時代の荒波といった困難を通じ、人間としての深みや精神的な豊かさという内面的な価値を積み重ね、魂やアイデンティティが磨かれることこそ、これから先もなお追い求めるべき唯一の目的ではないかと感じるようになった。変化に流されず、核となるものを守ることが、真の強さだとわかったからだ。

 成人した息子は人生を自らの力で歩み始めた。1人となった私にとって、人生の一番苦しい時期に息子と共に過ごした911の存在意義は薄れていた。残りの人生を歩んでいく上で、私には911とは別の意味の「ディフェンス」装置が必要になった。死ぬまで人生を共に歩んでくれるパートナー、それが人生最後のクルマとして迎え入れたランクルのナナマルだった。

 40年前の設計を踏襲し、過度な電子制御や快適装備を排して、道具としての本質を極めたこのクルマは、変化と物質主義的なトレンドへ反抗し、普遍的で頑強な思想を守り抜いた「ディフェンス」思想を具現化したクルマだと感じる。

 最近はナナマルで、林道や海岸線などへ時間の限り出かけている。この3ヵ月で既に1万㎞ほど走っただろうか。ナナマルの中で、残された人生で大事なことは何なのか、何のために生きているのか、自己の内面を整理して魂を整えている。そして新たな発見を楽しむ。私はこれを「魂のパトロール」と呼んでいる。ナナマルは、私だけの「心のシェルター」となったのだ。私の体をあらゆる環境から物理的に守ってくれる堅牢な金属の塊であるだけでなく、私の心をも守ってくれる存在なのである。

 57歳で大型二輪免許を取得し、中古のDUCATIを購入してリターンライダーとなったのも、衰えた肉体に鞭を打ち、アイデンティティを再確認するという、体幹と魂を鍛えることが目的だった。

 私の人生の中で、クルマやバイクという装置がもたらした役割はとりわけ大きい。その存在があったからこそ、私は救われたと思う。

 我々は今、多くの「いらないもの」を抱えてはいないだろうか。肩書き、プライド、エゴ。これらの拡大志向は魂を重くする荷物となり、豊かな人生の妨げとなってはいないだろうか。

 OVER50、いやOVER60の、もう若くはない我々世代にとって、クルマやバイクはもはやステータスなどではなく、アイデンティティや魂を磨くためのディフェンス装置に近いはずだ。真の強さとは、変化に流されず、核となるものを守り抜く「ディフェンス」にこそある。そして、守るべきものを見極めたその先に、新しい「オフェンス」への挑戦が可能になると思う。

 横浜の、時を経ても変わらない古い建物や異文化を受け入れる土壌、海への憧憬は、この街の「ディフェンス」的価値だろう。眼下に広がる横浜のパノラマは、過去と現在が混在し、埠頭の向こうに高層ビル群がそびえる。この街のように、人生もまた、常に変化を求められながら、核となるものを守り続ける試みの連続なのだろう。人生における「オフェンス」と「ディフェンス」は、横浜という街に不思議なほど重なっているようだ。

TOYOTA LAND CRUISER70(AX/ディーゼル車)

車両本体価格:4,800,000円(税込)
全長×全幅×全高(mm):4,890×1,870×1,920
エンジン:直列4気筒 総排気量:2,754cc 車両重量:1,110kg
最高出力:150kW(204ps)/3,000~3,400rpm
最大トルク:500Nm(51kgm)/1,600~2,800rpm
燃料消費率:10.1km/L(WLTCモード)
駆動形式:四輪駆動(パートタイム4WDシステム)

中兼雅之/Masayuki Nakagane

1965年生まれ、北海道出身、シングルファザー。元(株)リクルート、『カーセンサー』、『カーセンサーEDGE』 編集長、元日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員。2021年に退職後、京都芸術大学に編入して昨年同大学院を卒業した。
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