朝から柄にもなく緊張していた。
私は67台のクルマ遍歴があり、納車もそれだけしてきた。海外レース参戦や日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員の経験を経て、カテゴリーの裾野や個性の認め方に幅は広がったが、クルマの好き嫌いは根本的に変わることが無いと思っていた。だが、このクルマを初めて乗った日に、価値観が壊され、初レースに出た日のように一気に惹かれて行った。いま自分の目の前にフェラーリがあることが夢のようだ、それは、フェラーリSP3。
SP3に初めて乗った日に、私は車内で叫んだ。「できるじゃないか、これだよ!」と。この連載でも何度も繰り返して書いて来たが、ここ十何年もの間ずっと拒否し続けてきたフェラーリに、まさか、と思ったが、紛れもなく握っているステアリングの中央には、嫌いなランパンテがいた。いろんな感情が数秒の間に行き交ったが、会員制サーキット・マガリガワでSP3に乗りピットエリアを出て、まだ2つ目のコーナーを過ぎたばかりだった。次の長いストレートの間に、ガレージのどのクルマを手放し、駐車スペースを確するか考えていた。8億円から9億円で取引されている車輌価格を忘れない程度に、蛸壺コーナーでリアをスライドさせるが、SP3の懐は想定より深かった。惚れ直すのに、1周は必要なかった。戻ってきた周回のストレートでは、ステアリング中央のランパンテに、嫌悪感はもう、全く感じなかった。

最初からフェラーリが嫌いだった訳ではない。むしろ、私は高校生の時にフェラーリに憧れ、必ずフェラーリに乗る、と人生の目標にしていた。最初に買ったF355はまさにドリームカー、手に入れた満足感でいっぱいだった。蜜月の納車初期を過ぎた頃、足回りに少しの物足りなさを感じ始めた。そこで私は、ドリームカーに足りないと感じた足回りに、改良を加え始めた。購入すること自体、壁が高いフェラーリにアフターパーツを入れる。少し柔らかい足回りだった当時のフェラーリは、サーキットや峠道には物足りず、アラゴスタやビルシュテインなど、車高調システムを取り入れたアフターパーツのオリジナルブランドが全盛だった。他方、今では信じられないことだが、改良に対してディーラーの対応は、車検内ならば拒否してこなかった。当時のメーカー補償制度は曖昧で、自分と担当営業が交渉に近い話し合いをして、どこで線を引き、どこまで許諾するか話し合いによる、ジェントルマンな領域であった。そこはいま振り返ると、とても魅力的な一面であったと思う。

そこから時代は駆け足で、曖昧さを残さない「補償時代」へと進んだ。そのあたりから、ディーラーのセールスは、口を開けば「補償外になります」と繰り返すばかりになった。完璧ではないクルマを、己の手で完璧に仕上げることが出来なくなると、不完全燃焼な思いと不満は、メーカーに向いた。近代フェラーリがまさにそうで、そのあたりから私はフェラーリ製品に心底、退屈さを感じるようになった。そして若き頃に目標としたフェラーリの、製品として没落した姿を見たくなくて、ここ数年は買うことを控えていた。しかしSP3は、フェラーリが原点回帰させると、改良の余地もない完璧なクルマを作ることを証明した。
V12気筒ミッドシップ、6L自然吸気エンジンに、独創的なデザイン。ボディパネルからアンダーパネルまで、1ミリの妥協もない作り込み。空力なのかデザインだけなのか、そんなのどっちでもいいと言える天衣無縫のディテール。インテリアのクオリティも比較対象はなく、全方向的に美しいレオナルド・ダ・ヴィンチの彫刻のようだ。ベースとなる車両はラ・フェラーリであり、そこからハイブリッドシステムを取り除く、大胆なソリューションは大成功だ。800馬力12気筒が奏でるエンジンサウンドは、高回転まで回さないと聴くことはできない。フェラーリ独特のパドルシフトの感触を右手で感じながら、1回、また1回とシフトアップしていく。レーシングカーさながら入っていくフロントタイヤと、旋回スピードに毎度息を止め、脳内は興奮と緊張を行ったり来たりする。抑えろ、と思ったのに気づいたら、フルブレーキからクルマのフロントを、コーナーに放り投げている自分がいた。そこまでやってもこのクルマは大丈夫、と心が動いた瞬間の行動だった。いつ、どのタイミングで、リアがブレイクするかわからない恐怖心や車輌価格を、私の頭からランパンテが蹴り飛ばした瞬間だった。このクルマには、かつてのフェラーリに感じた、物作りや運転フィーリングへのパッションを、私のあらゆる統覚で再確認できた。この20年でフェラーリ社が得たテクノロジーや信頼性、生産性やクオリティコントロールと引き換えに、失われた情熱的なドライブフィールが、このSP3には確かにど真ん中にいる。
喧嘩別れした友人と、長い時間をかけてまた同じ場所に戻って来た。そして、また一緒にバカやれるのが、こんなに嬉しいとは。嫌いなんかじゃやっぱり無かった、そうだよな、またよろしくな。

Hiroshi Hamaguchi
