POINT OF NO RETURN Vol.198 バイクからおりる日

文・大鶴義丹

私の周りにいるバイク乗りというのは、大抵は昭和からの古参ライダーだ。

 80年代バイクブームで身体のどこかのネジが緩むか無くすかしてしまい、そのままヤケクソで平成を生き抜き、気がついたらいつの間にか周りが令和になっていたという感じだろう。休日の高速サービスエリアにやって来る「世紀末的な扮装」をしている人たちが、いざヘルメットを取るやいい歳のオッサンばかりだというのは有名な笑い話だ。私の孫はまだ2歳だが、あと数年すれば幼稚園に通い出す。大きなバイクに乗る私のことをどんな思いで見るのだろう。走り去る私を見て、あのジジイ、どうしようもないなと。

 若いライダーたちと一緒に遊ぶこともあるが、昭和組さんたちは、何故そんなに「無駄」にまで元気に走るのですかと苦笑される。天気が良いのだから、急がずにのんびり行きましょうよと。冗談ではない、のんびりと走ったことなどは、16歳から一度もない。

 メソッドの進化により、モータースポーツの競技レベルは上がっている。プロスポーツ的な視線で言えば、今の若いプロライダーたちは凄い領域にいる。世界を目指す若手ライダーの登竜門、全日本のJ-GP2、J-GP3クラスなどには、超ハイレベルの走りを見せる中学生もいる。

 だが一般ライダーでいうと、やはり昭和と令和では原風景が違うのだなと思う。あの時代はある種異常で、本来はバイクに乗る必要のないような男子でも、同調圧力からバイクに乗っていたような時代だ。まさに猫も杓子も「走り屋」というやつ。当然、陸サーファー的なバイク乗りの多くは、18歳になると同時に恋愛ツールとしてのクルマに乗り換えていく。恋人と一緒にエアコンがきいた車内で「ユーミンと山下達郎」を口ずさむ。その楽しさを一度知ってしまうと、バイクなんて二度と乗るものかと。それが典型的なバイクの卒業だ。だが18歳を超えても乗り続けている輩というのもいて、平成バブルを舞台にその手の輩はさらに心をこじらせていく。好景気の風を受けて、レースで散財する者も多かった。

 そして平成も終わり、気がつくと令和もあっという間に7年となり、私たち80年代ライダーたちもいよいよ還暦の赤いフラッグがチラホラ見え始めている。私もこの4月で57歳だ。同年代のライダーたちは、いまだに公道からサーキット、オフロードまでと元気に走り回っている。だがやはりそれでも、疲れが抜けにくい、夜目よめが効かなくなったなどと言い始めているのは言うまでもない。

 「バイクからおりる日」

 バイク仲間と酒を飲んだ時などに、そんな言葉が漏れてしまうことがある。あと15年もしたら現実的に乗れなくなる日がくるのかもしれないと、同年代のバイク乗り誰もが予感している。病気などで身体を壊してしまうと、下手をすると10年くらいかもしれない。この歳まで乗り続けてしまうと、その日の到来というのは心と体以外の何かが死ぬ日である。

 実際に私の周りにいる先輩たちも、病気などで以前のように派手にバイクを振り回すことはできなくなったりすると、バイク乗りとしてのブライドが許せないのか、バイクから遠ざかったりする。

 私自身において、そんな日が数年以内にやって来ないとは言い切れない。自分はどうするのか。のんびりとハーレーで海沿いのカフェに向かうのだろうか。しかし16歳からそんな休日を一度も味わったことがないので想像自体が難しい。そもそもカフェなんてモノよりも、駅前の居酒屋に行く方が好きだ。

 幸い私はバイクレストアの趣味を持っている。旧いバイクを数年かけてキレイな状態に戻し、それが再び走る姿を見るということだけでもある程度は楽しめるかもしれない。だが自分にとってレストアする意味と言うのは、蘇ったマシンを乗り回すという事であり、レストアすること自体が目的ではない。暇つぶしにはなるが結局は飽きてしまうだろう。

 バイクを降りる日は、区切りであり、人生の新しい章の始まりなどとカッコよくいられるだろうか。そんな物分かりの良い自分とは思えない。見苦しくのたうち回るかもしれない。四輪とは違い、バイクというのは存在意義自体が「不安定」と共にあり、それを愛でる者のオモチャだ。だが無理をして乗り回し、他人に迷惑をかけるのはパイク乗りとして最も避けるべきことだ。私たちの中でバイクとはカッコイイことが大前提である。はじまりから終わりまで、無理をしてでもカッコつけていなくてはいけない。

Gitan Ohtsuru

1968年生まれ。俳優・監督・作家。知る人ぞ知る〝熱き〟バイク乗りである。


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