濱口 弘のクルマ哲学 Vol.41 ル・マン メモリアル

文・濱口 弘

涙が止まらなかった。ル・マンのオープニングセレモニーがグリッドで行われ、自分のピットへと1人歩きながら、グランドスタンドで歓声を上げる観客を眺めていた。

 右に目を移し、ル・マンの象徴であるミシュランとロレックスの大きな表彰台が目に入った時、私は人目を憚らず流れる涙を止められないでいた。

 年に1回しか走れないル・マンは特別だ。101回目を迎えたル・マン24時間レースはフランスを挙げてのお祭りで、30万人以上が来場する大イベントである。ドライバーはレースが始まる10日前から公開車検、ステージインタビュー、プレス対応、サイン会、凱旋パレードがあり、街を一部閉鎖して公道を使うル・マンのサルテ・サーキットの事前テストは3日間、日中と夜間走行テストが行われる。レースが始まる水曜日の予選から決勝の終わる日曜日まで、会場にはいくつもの野外ライブイベントがあり、ショッピングエリアにはロレックスをはじめ、ラグジュアリーブランドや自動車関連メーカーのブースが賑やかし、この週末用に建てられたとは思えない野外レストランに遊園地など、まるでテーマパークのようだ。いや、テーマパークが真似をしたのだろうが。

 スタート前には多くのセレモニーや、セレブリティが登場するイベントで賑わう。セーフティカーからのローリングスタートはフランスのサッカーレジェンド、ジダンがフラッグを振り、24時間レースは始まった。比較的クリーンなレース運びのまま、私の最初のスティントが近づく。ピットストップではドライバー交代、タイヤ交換と給油を行う。ピットレーンにクルマが入ってきた緊張感は、私が今まで参戦してきたどのレースよりも高く、そして集中していた。

 オレンジのマクラーレンがピット前に停車、ここから記憶も音も無い。気がついた時には720 LMGT3Evoと私は、テトロルージュを4速ギアで駆け抜け、ミュルザンヌコーナー目掛けてフルブレーキングしていた。幼い頃の憧れが私をここへ連れて来たのだ、できる準備はすべて頭と身体に入れて挑んでいる。予選でターボが壊れ、ほぼ最後尾19番手スタートだった59号車だが、ピットストラテジーが完璧に機能し、私のスティントが終わる頃には5番手に上がっていた。1時間半ドライブし、ル・マン最初のスティントは無我夢中だったが、大きな手応えを感じ交代した。

 ところが私の2回目のスティントで出た21時から約2時間過ぎた頃、雨が降ってきたのだ。スリックタイヤで、急激に冷えた暗闇のウェット路面という、四大悪条件での走行は恐怖でしかなかった。規定周回まではピットに戻れないのだが、ここからさらに雨量が多くなり、とうとうスピンをしてグラベルにハマってしまった。自力で脱出できたが、ル・マンの洗礼を受け1分程度を失い、規定の交代となった。

 続く第3スティントは、早朝の3時間45分ロングドライブ。変わらず大雨が続いており、私は1時間半セーフティカーの後ろで周回していたが、段々と小降りとなり、やがて雨は止んだ。その後のセーフティカー解除の路面は、私が一番得意とする雨上がりの半乾き状態だ。 ここで9番手だったポジションから4台を抜き、前にいた5台がピットに入った事から一時は首位を走行もした。この時、コース上にいたGT車両の誰よりも速く走り、何人ものトッププロをル・マンのコース上で抜いたこのスティントは、私のレース人生のハイライトとなるだろう。

 この後は3位から6位で定着し、上位勢のピットインで順位は都度変動するが、このまま行けば3位は堅い、そういう位置に我々はいた。しかし、残り5時間の時だった。給油しピットアウトするはずのクルマが動かない。メカニックは懸命にエンジン周りをチェックするが、10分後に全員が首を振り、正式にリタイヤが申告がされた。

 あっけない終わり方だった。ここまでの流れ、ドラマ、苦労、全てが一瞬にして夢と消え、自分が何をしているかわからなくなった。メカニックは涙し、倒れ込み、私たちドライバーに謝ろうとする。彼らの責任ではない。全くもって謝る必要なんてないのに。抱き合いながら、ここまでの健闘を讃え合って、私は59号車のレーシングスーツを脱いだ。

 私はその時になってスタート前の涙の理由がわかった。何度もレースをやめようと思った辛い日々、自分の実力を見極めながら模索し、チームや車両、パートナードライバーを見定めて選んだシート、ル・マンまでにかかった時間と努力が、想いがあのグリッドでめぐり、子供のようにぽろぽろと涙が止まらなかったのだ。そしてル・マンのサルテ・サーキットと同じように、それは一瞬にして私の前から消えてしまった。

 今もまだル・マンを総括できずにいる。6月16日から何人にも聞かれた、「またル・マン出るでしょう?」の問いにも、答えられないでいる。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。ポルシェ・カレラカップジャパン、スーパーGT、そしてGT3シリーズとアジアからヨーロッパへと活躍の場を広げ、2019年はヨーロッパのGT3最高峰レースでシリーズチャンピオンを獲得。FIA主催のレースでも世界一に輝く。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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