濱口 弘のクルマ哲学 Vol.35 マイバッハの使い方

文・濱口 弘/写真・シャシン株式会社

マイバッハのユーザを思い浮かべると、成功したビジネスマンや大富豪の奥様が運転手付きで使用している姿を想像する。

 ところが今回私が取材したマイバッハは、使途もそのオーナー像も、全くの想定外だった。このマイバッハのオーナーは、aheadの私の連載ページの専属カメラマンである、シャシン株式会社の小林悠佑カメラマン。もちろん、彼が昭和の巨匠カメラマンよろしく、アシスタントの運転する後部座席にふんぞり返って撮影現場に来るためのクルマではない。

 現行マイバッハがデビューしたのは2015年。マイバッハの独自ブランドは廃止され、メルセデスSクラスがベースとなる、オプションの延長のような位置付けになった。AMG車両を選ぶような感覚で、名前だけマイバッハと付いたハイスペックオプションモデルかと思っている人も少なくはないはずだ。

 発売から8年が経ち、そろそろモデルチェンジをしてもおかしくないモデルサイクルに来ているが、内外装ともに全く古さを感じない。それどころか、内装に至っては液晶パネルの数こそ最新車両には劣るものの、基本デザインやライティング、ボタン類やAC吹き出し口などの細かいパーツの加工やフィニッシュ、シートの形状やアポストリーデザインなど、現段階においてもこのクルマの右に出るものが見当たらないだろう。

 ダッシュボードの3Dモニターも、そこに映し出されるナビ画面も、目を疑うような奥行き感と立体感が演出されている。ヘッズアップディスプレイの投影位置や映り込み方、その情報量も完璧で、人間工学を研究し尽くしていることを感じさせる。ボタン類が残されているのは製造開始から8年経っているからなのか、意図的なのかはわからないが、全てがタッチスクリーンではない。しかし運転時の操作には、フィジカルなボタンがストレスを生まない最適解だ。

 ドライブでは全ての動作が自然に身体とクルマが繋がった。各走行モードに見合ったレスポンスのステアリングフィールはスポーツモードを選択すると、クルマ全体がアスリートの体のように引き締まり、スポーツカーを運転しているようなドライバーとの一体感がそこに生まれる。コーナーでGがかかるたびに、ドライバーズシートのランバーサポートが体を支えるように締め上がってくるが、ロールもピッチもなく、ただただフラットにクルマは前後左右へと自由自在に動き回り、セダンから一気にドライバーズカーに様相を変える。

 カーブモードでは、身体が宙に浮いて移動しているような感覚を覚えることもあり、まるで新幹線N700Sに乗っているような感覚だ。地面にタイヤが接地していることを忘れさせるその乗り心地は、段差を段差と感じさせない。交差点や首都高速のタイトなコーナーを曲がっても、全くロールしないフラットな車内は、目を瞑っていればタイトに曲がっているとわからない。逆に前を見ていると、コーナ前で身体は横に持っていかれると脳みそが準備するのに、車体の左右の高さが調整されるために横Gは、ほぼ感じない。拍子抜けするというべきか、不思議な感覚というべきか、良い意味で想定外な動きを魅せ、ショーファーカーへと居住まいを正す。

 マイバッハの対抗となる車格はロールス・ロイス・ゴーストとベントレー・コンチネンタル・フライングスパーになるが、どちらのクルマもマイバッハより高いのに、ここまでのテクノロジーは入ってない。ロールスはもっとアナログな重厚感を意識しているので、電子スタビライザーもないし、ドライビングモードも選択できない。私の知り得る量産車の中では、方向性は違えど完成度という意味では、最先端のテクノロジーに5つ星ホテルの家具のような内装が備わったフェラーリ・プロサングエが、肩を並べられる唯一のクルマかもしれない。

 車に必要なすべての要素を持ち備えたマイバッハは、サーキットでも、山道でも、バンピーな路面でも、フラットな姿勢を保ちながらクローズドな道路で追走し、撮影対象を狙ったカメラマンの手を揺らさない。レンズの先がマクラーレン765LTであったとしても、富士スピードウェイの100Rを滑空するように並走しながら、芯を食ったピントをこちらに向ける。公道の王様のようなクルマであるのに、有能な裏方として使われているのだ。

右コーナーなのに、車体左側が高くなっている

 カメラマンの最大の目的は、依頼された内容でクオリティの高い「伝わる1枚」を撮ることだ、と私は理解している。この連載で掲載された写真のように、彼はそのクルマの全てを伝えてくれている。そしてそのフォトセッションでは、絶好のロケーションを選び、そのクルマのデザインをもう一つ深い理解へ落とし込む体験を与えてくれる。そのために極めて揺れないクルマを選んだら、「それが」マイバッハだっただけなのだ。

 ショーファーカーに乗る様々なビジネスマンを見てきたけれど、また、面白いクルマに乗るカメラマンも見てきたけれど、小林カメラマンとマイバッハのコンビには、誇示も属性も妥協も無い。伝わる1枚への、ひたすらな求道心があるだけだ。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。ポルシェ・カレラカップジャパン、スーパーGT、そしてGT3シリーズとアジアからヨーロッパへと活躍の場を広げ、2019年はヨーロッパのGT3最高峰レースでシリーズチャンピオンを獲得。FIA主催のレースでも世界一に輝く。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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