イメージについて Archives

イメージほど抽象的でありながら重要なものはない。

多くの場合、ひとは本質を見極めるよりもイメージによって、ものごとを判断しているように思う。その人のイメージやブランドイメージなど、イメージが良いものが好まれ、売れる傾向にある。

今回はクルマやバイクを取り巻くさまざまなイメージについて考えてみたい。

2015年12月号 Vol.157「JPSに憧れていたころ」より JPSに憧れていたころ

文・神尾 成 写真・原 富治雄

 黒い車体に金色の文字で「John Player Special」と書かれたJPSカラーを初めて見たのは1976年の『F1イン・ジャパン』だった。レーシングカーは赤や青、もしくは白など派手な色しか使われないと思っていたので、黒地に金のストライプという出で立ちのロータスのF1マシンに衝撃を受けた。そのレースはチャンピオン争いの佳境だったことから、フェラーリとマクラーレンに注目が集まっていたのだが、優勝したのはJPSカラーのロータスだった。

日本で初めてF1が開催された1976年の勝者は、「ロータス77」を駆るマリオ・アンドレッティだった。実はこの頃のJPSの文字やラインは金ではなくベージュで描かれている。テレビに映った際、金色として見えるように工夫されていたのだ。当時は手塗り仕上げだったので、近くで見ると刷毛の跡が分かる。

 それから9年後の1985年、アイルトン・セナが初優勝をあげたのもJPSカラーに彩られたロータスだ。セナは同郷のエマーソン・フィッティパルディにタイトルをもたらした「JPSロータス」に強い思い入れを持っていたらしく、1987年の開幕を前にロータスがJPSカラーをやめることを知って、「聞いてなかった」と契約内容の変更を要求したという。しかしその後、JPSが公式な形でF1の世界に戻って来ることはなかった。

 JPSカラーは決して地味ではないが、脚光を浴びるヒーローというよりも、一歩引いた大人っぽいイメージがある。派手さを抑えながらも存在感を醸し出す〝いぶし銀〟的なカッコよさを感じさせるのだ。そのせいかロータスのファンに限らず、JPSカラーそのものにもファンが多い。またロータスは当然として、JPSにスポンサードされたバイクメーカーのノートンも黒に金ストライプを組み合わせた〝JPSイメージ〟の市販車を50年以上前からラインアップしている。

 かつてこれほどまで長く、そして深く愛されたカラーリングはない。今ではJPSと無関係であっても黒地に金ストライプの配色のことをJPSカラーと呼ぶほどポピュラーな存在となった。これから先、何十年経ってもJPSカラーは憧れの存在として残り続けていくのだろう。

日本でF1の全戦テレビ中継が始まったのは1987年だったので、アイルトン・セナとJPSロータスがタッグを組んでいたことを知らない人も多い。しかしJPSロータス時代のセナは、32戦中15回もポールを獲る活躍を見せていた。

2015年10月号 Vol.155  特集「アルティメイト ジャパン」より トヨタ2000GTとレクサスLFAを生み出した国

文・神尾 成

 20世紀のモータリゼーションの時代は、どのようなクルマを作れば良いのかが分かりやすかった。皆がクルマを所有することを何よりも優先していたからだ。その結果、これまで日本の自動車メーカーは「安くて壊れなくて燃費のいいクルマ」を作り続けてきた。今でも大衆車の作り方はそれが正攻法なのかもしれないが、それだけではクルマ離れが叫ばれるこの状況を変えることはできない。今こそ多くの人が憧れる高い付加価値を持った日本のクルマが必要な時代だ。それが大量生産を行ってきた日本の自動車メーカーの次なる使命になってきているように思う。

 しかし大衆車とは違い、高い付加価値を持つスポーツカーや高級車は必需品ではない。世界が認めるフェラーリやメルセデスに日本車が対抗するには、それを押しても選びたいという、はっきりとした差を付けなければならない。そのためには、F1などの檜舞台で真剣勝負に勝つことが求められる。人はストーリーに憧れてそのメーカーのクルマに乗ってみたいと思うもの。欧州メーカーが大金を投じてレースを続けている理由は正にそこにある。都合よくレースに出たり入ったりしているようでは世界が日本メーカーを本当の意味で認めることはないはずだ。

 こういったことは何も高級車だけの話ではない。マツダが他社との差別化を図り販売台数を伸ばしてきたように、これからはメーカーの〝志〟が見える必要がある。メーカーにシンパシーを感じてモノを買う時代が来ているのだ。クルマメーカーではないがアップルにファンが多いのはアップルのセンスやスタンスにユーザーが共鳴し、その先に感動が生まれているからに他ならない。当たり前だがマーケティングだけで感動は生まれてこない。そこに作り手の純粋な想いが重なって初めて人を感動させることができる。新たな感動を生まなければ間違いなく今後もクルマ離れが進むことになるだろう。

 少し前の話になるが、世界的な人気のテレビ番組「Top Gear」で司会を務めていたジェレミー・クラークソンが、一番印象に残ったクルマとして、レクサスLFAの名前を挙げた。彼は「作り手の魂が宿ったクルマは少ない。LFAは複製画ではなく本物の絵画だ」と評している。トヨタのクルマを世界中のどのクルマよりも高く評価したのだ。また映画007シリーズでジェームズ・ボンドを演じたダニエル・クレイグが過去の作品も含めて好きなボンドカーは何かと尋ねられた際、歴代のアストンマーティンを差し置いて「トヨタ200GTだ」と応えている。想いを持って作った日本のクルマは捨てたものじゃない。時に利益を追求するよりも、文化を育てる意識を優先しなければできないことがある。

レクサスLFA

車両本体価格:37,500,000円(税込)
エンジン:V型10気筒DOHC
排気量:4,805cc 最高出力:412kW (560ps)/8,700rpm
最大トルク:480Nm (48.9kgm)/7,000rpm *販売受付終了
1967年に発売されたトヨタ2000GTは、日本の技術レベルを世界に広く知らしめた。当時カローラが40万円台なのに対して価格は238万円、生産台数は僅か337台。映画『007は二度死ぬ』では、オープン仕様も製作された。レクサスLFAは、日本の停滞ムードを打ち破るべく「世界に誇れるトップレベルのスーパースポーツを作る」との想いから9年の開発期間を経て2010年12月に発売開始。日本車史上最も高価な3,750万円という価格や500台の限定生産も話題となった。

「イメージについて Archives」の続きは本誌で

エンブレムは単なるバッジではない 岡崎五朗
「ルパン三世」がもたらしたもの 山下敦史
映画がクルマやバイクのイメージを創りだす 山下敦史
JPSに憧れていたころ 神尾 成
トヨタ2000GTとレクサスLFAを生み出した国 神尾 成
見栄のなかの意地と、意地のなかの見栄 山下 剛
ライダーの未来とバイクという呪縛 神尾 成


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