三菱自動車は戦後、新三菱重工業時代の’52年に米ウイリス社と契約し、’53年にジープのノックダウン生産を開始した。
ジープの生産を通じて、三菱はオフロード4WDの設計・生産に関するノウハウを身につけていった。
ジープは軍用車両としての合理性を身につけていた。裏を返せば、快適性は後回しだった。70年代に入ってクルマが庶民にとってより身近になると、道なき道を自在に走り回れるジープのオフロード走破性の高さが注目され、レジャーの相棒として重宝されるようになった。その動きに目を付けた三菱は、’73年の第20回東京モーターショーに「三菱ジープ パジェロ」を出展した。基本スタイルはジープのままだったが、レジャーユースを意識した仕立てを施していた。
それから6年。’79年の第23回東京モーターショーでは、「三菱パジェロII」を展示した。今度はジープがベースではなく、ラダーフレームのピックアップトラック、フォルテ4WDのシャシーを転用した。FRP製のオープンボディをまとっていた。このパジェロIIを市販化したのが、’82年4月に発表、5月に発売された初代パジェロである。パジェロ(PAJERO)のネーミングは、アルゼンチン南部のパタゴニア地方に生息する野生の猫、パジェロ・キャットに由来する。
本格的なオフロード4WDの悪路走破性と乗用車の快適性を兼ね備えたパジェロは、日本でRVブームを巻き起こす原動力になった。海外でも人気を博し、三菱の基幹車種に育っていった。デビュー当初のパジェロはオープンエア走行が可能なキャンバストップとメタルトップの2種で、どちらも2ドアだった。’83年6月には全長を605mm延長した4ドアのエステートワゴンを追加。格納式のサードシートを備えており、7名乗車を可能にした。トランスミッションは当初5速MTのみの設定だったが、’85年に4速ATを追加。ユーザーのニーズに応えるようにラインアップを拡充していくことで、人気を不動のものにした。
初代(1982年〜)
パリダカでの活躍を忘れるわけにはいかない。三菱は’83年の第5回大会から「世界一過酷なラリーレイド」として定評のあるパリ・ダカール・ラリー( 現ダカール・ラリー)にパジェロで参戦。’83年・’84年の大会では市販車無改造クラスで優勝。’85年は改造クラスで参戦し、ワン・ツー・フィニッシュを果たした。その後の活躍もめざましく、’01年〜’07年の7連覇を含め12回の総合優勝を成し遂げている。パリダカでの活躍は、パジェロと三菱の知名度を世界的に高めると同時に、オフロード走破性の向上に関する技術の蓄積に貢献した。
1983年パリ・ダカール・ラリー参戦
2代目パジェロは’91年にデビュー。ラグジュアリーな方向に転換したのに加え、ボディタイプに豊富なバリエーションをそろえたのが歓迎され、爆発的なヒット作となった。技術面のハイライトは、フルタイムとパートタイムの両方式の長所を合わせ持つ、世界初のスーパーセレクト4WDの採用だ。
’99年の3代目はよりアグレッシブな方向に進化。前後のサスペンションを含めシャシーを一新して軽量化しつつ剛性向上を実現し、乗り心地と操縦安定性の向上を図った。’06年にデビューした4代目は、基本的なハードウェアを3代目から受け継ぎながら、上質さを引き上げた。車両運動制御面では、ランサー・エボリューションで磨いたAWC( オールホイールコントロール)の思想を取り入れ、4WDと駆動・制動を統合制御し、走りに磨きをかけた。
日本で64万台以上を販売したパジェロは’19年8月をもって生産を終了し、国内での販売を終えた。パジェロⅡの出展から40年後、’19年の第46回東京モーターショーに三菱は、バギータイプの電動SUVコンセプトカー、MI-TECH CONCEPT(マイテックコンセプト)を出展した。パジェロのDNAを受け継いだ新しい形の「レジャーの相棒」に見える。
ファイナルエディション(2019年)
エンジン:DOHC 16バルブ・4気筒
インタークーラーターボチャージャー付
総排気量:3,200cc
最高出力:140kW(190ps)/3,500rpm
最大トルク:441Nm(45.0kgm)/2,000rpm
2代目(1991年〜)
2代目 EVOLUTION(1997年)
3代目(1999年〜)
4代目(2006年〜)