僕のオートバイ、彼女の島

文・河西啓介/写真・安田慎一

僕は53歳の男だ。クルマが好きで、オートバイが好き。音楽も大好きで、バンドを組んで歌を歌っている。

 しかも幸せなことに、そのいずれにも〝仕事〟として関わっている。つまり「好き」を仕事にしているのだけど、なにも特別な才能やすごい幸運があったワケではない。ただただシツコク、自分の好きなコトをやり続けてきただけだ。

 クルマとバイクについては、愛読していた専門誌の編集部に潜り込み、編集者から編集長、そして自ら小さな出版社までつくってクルマ&バイクの雑誌を作り続けた。そしていまはフリーランスのモータージャーナリストという肩書を持ちながら、こんなふうに雑誌やメディアで原稿を書いたり、喋ったりしている。

 音楽については、学生時代からずっとアマチュアバンド活動を続けてきたのだけど、1年ほど前に突如、「50代のメンバーでバンドを組んで武道館ライブを目指す!」ということを思い立ち、SNSで宣言し、それがきっかけとなりこの春、オリジナル曲で配信デビューすることが出来た。いちおうプロアーティストの端くれである。とはいえ「武道館」はいまのところ、遥か遠く彼方の〝夢〟に過ぎないけれども。

 こんなふうに生きてきた自分のことを、きっと「高2病」なんだよなぁ、と思っている。クルマ、オートバイ、バンド。考えてみると自分の人生は高校2年生、つまり17歳のころに夢中だったコトをただただ追いかけ続けてきた、という気がするのだ。じっさい僕のまわりには、高2病と思しき者が多い。いや、クルマ好き、バイク好きのオトナはかなりの確率で高2病を患っている、というのが僕の分析だ。

 17歳の〝あの頃〟が自分の人生にいかに大きな影響を与えているか、それを実感することがある。ある特定の曲を聴いたときに、胸が〝キュン〟と締め付けられるように反応するのだ。杏里の『悲しみがとまらない』、キョンキョンの『迷宮のアンドローラ』、小林麻美の『雨音はショパンの調べ』、オメガトライブの『君のハートはマリンブル―』などなど……。アラフィフにジャストミートの曲ばかりで、他世代には申し訳ないが。

 これらの曲が自分の中に強く胸に刻まれている理由に、あるときはたと思いあたった。すべて1984年のヒット曲なのだ。僕は17歳になったこの年の夏、バイクの〝中免〟を取り、バイトで貯めたお金で中古のホンダVT250Fを買った。そしてやってきた夏休み、千葉に住んでいた僕は、毎週のようにバイクを走らせ九十九里海岸に通った。そのとき海の家や浜辺のスピーカーから絶え間なく流れていたのが、この’84年のヒット曲たちだった。いや、よくできた話だけど、つくり話ではない。本当にそうなのだ。

 思えば1984年というのはアイドル・ブーム真っ盛り。トップに君臨していたのは’80年デビューの松田聖子。続いて〝花の’82年組〟と称された中森明菜、小泉今日子、堀ちえみ、石川秀美……。とはいえ僕は圧倒的に早見 優ちゃん派だったのだけど。ちなみに森高千里が『17歳』をヒットさせたのは5年後の’89年、僕はもう22歳のオトナになっていた……。

 じつはこの夏、僕は17歳のときに抱いていた夢をひとつ叶える。高校生のときに出会い、僕のバイク熱に火をつけた片岡義男の小説、『彼のオートバイ、彼女の島』の中で主人公が乗っていたカワサキW3(ダブサン)を知人から譲り受けるのだ。この8月、小説の舞台となっている岡山県の白石島に行き、そこでバイクを受け取り(前オーナーが岡山の人なのだ)、東京までW3を走らせ帰ってこようと思っている。そのとき脳内に流れる音楽は、きっと吉川晃司の『サヨナラは8月のララバイ』に違いない。

 1984年、17歳の夏。オートバイとヒットソング。これからも僕は一生、〝あの夏〟を追いかけて生きていくのだろう。夏が来るたびそんなセンチメンタルな想いに駆られる、53歳の少年オヤジなのだ。


河西啓介 Keisuke Kawanishi

「NAVI」の編集部を経て、「MOTO NAVI」「NAVI CARS」を立ち上げる。創刊から一貫して、クルマやバイクのある生活の「楽しさ」を発信し続けてきた。現在はエディター、ライター、コメンテーターなどフリーランスとして活動を開始する。

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