モタスポ見聞録 Vol.38 プロジェクト・ピットレーン

文・世良耕太

F1は不断の技術開発によって年に約2%性能が向上する。開幕戦で1周、1分40秒(100秒)のサーキットを走ったとすると、最終戦では1分38秒で走れるようになる。

 開発の手を止めてしまうと、開幕時点でポールポジションに立っていたとしても、シーズン終盤には後方集団に埋もれてしまう。それがF1の実態だ。シーズン中は、短いときで1週間のインターバルで次のレースがやってくる。新技術の投入が遅れては致命的なので、次から次に新しいアイデアを出しては解析を行い、テストをし、効果を確認したら物を作って準備しなければならない。そのために、F1チームには有能な人材がいて、短時間に高性能のデバイスを精度高く製作できる計算機器と工作機械がそろっている。

 イギリスに拠点を置く7つのF1チーム、すなわちメルセデスAMG、レッドブル、マクラーレン、ルノー、レーシングポイント、ハース、ウイリアムズは、一致団結してイギリス政府に協力し、新型コロナウイルスと戦うことにした。本来なら2020年シーズンの技術開発に集中している頃だが、3月中旬に予定されていた開幕戦が中止になって以来、シーズン再開の目処は立っていない。サーキットでは競争相手だが、いまはその時ではないということだ。

 「プロジェクト・ピットレーン」と名づけられた合同プロジェクトは、3月下旬に結成された。取り組み事例のひとつは、メルセデスAMGのエンジン開発・製造部門(メルセデスAMGハイパフォーマンス・パワートレーンズ:HPP)に所属するエンジニアが、ロンドン大学のエンジニアや、ロンドン大学病院の臨床医と連携して行った呼吸補助装置の開発と製造だ。これはイギリス政府の呼びかけに応じたもので、「ベンチレーター・チャレンジUK」という、イギリスの産業界が連携して人工呼吸器の設計・生産をサポートするコンソーシアムに、プロジェクト・ピットレーンが参画する形で実現した。HPPが取り組んだのはCPAP(Continuous Positive Airway Pressure:持続的気道陽圧:シーパップ)と呼ばれる装置で、機械で圧力を掛けた空気を鼻から気道に送り込むことで、コロナウイルスによる肺感染症患者の呼吸を助ける。イギリスの病院ではこのCPAPが不足しており、早急な対策が望まれていた。

 HPPは最初の会議から100時間に満たない時間で最初のCPAPを製造すると、初期のモデルに比べて酸素消費量を最大70%削減する改良モデルを開発し、監督官庁の承認を得た。まさに、F1技術開発並みのスピーディな対応だ。ほかの拠点でも生産できるよう、製品データは無償で提供している。普段はピストンやターボチャージャーなどを製造しているファクトリーでは、40台の工作機械を用いて最大日産1,000個の生産能力を確保する見込みだという。

 「プロジェクト・ピットレーンに属する7つのチームは、革新的な技術を必要とする他の領域でも、迅速にサポートする準備ができている」と、声明を発表している。有事の際、チームの垣根を越えて団結するのは、F1の伝統だ。


Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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