とびきりのフツウが欲しいのさ。
ここ数年、心がシンプルなものを求めるようになった。もともとボクの中にはそうした気質はあるのだけれど、40代半ばを過ぎた辺りからこの思いが加速するようになった。
それって、歳を取ったってこと?
いや、違う。強いて言えば抗っていることに近い。でも本人のなかでは、極めてまっとうな心持ちから来る欲求だ。
余計なものはいらないよ。その代わり純度の高いヤツをくれないか? って感じ。
クルマで言えば911カレラを手に入れたのは、その思いに近い。ここ数年の異様な高騰から空冷モデルを手に入れること自体に「贅沢者」のレッテルを貼られるのは致し方ないことだけど、これとシンプルなモノを欲する気持ちとは、まったく関係がない。
むしろそんな高い金を払ってまで古いカレラを選んだのは、911というスポーツカーがリアエンジンというハンディを背負いながらも、だからこそ極めてシンプルにスポーツカーとしての理想を追い求め、その一番エモーショナルな時代が空冷モデルの生まれた時期だったと気づいたから。だから「RS」のような〝役付き〟じゃなくて、ヴァリオラム付きでパワーも上がった後期型でもなく、ただのカレラでいいとわかったんだ。まるでシャケが使うシングルコイル1個のストラトキャスターが心地良いみたいにね。
バイクにしてもそうで、心惹かれるのは軽くてシンプルなものばかり。カフェレーサー、もっと言えばBART。いらないモノを削ぎ落とすという意味でのチョップバイクに、きらめきとエネルギーを感じる。なんにも付いていないのにさ、おかしな話だよね。
こうした気持ちの高まりは、これからの日本で徐々に高まって行くと思う。いや、高まって欲しいなぁ…って思う。
真綿で首を絞めるように所得の二極化が進み、携帯を開けばSNSでは知り合いの自慢話が飛び込んでくる息苦しさの中で、全てにシラけながらも「でもなんか違うんだよ」と叫ぶ心が、シンプルに目的を追いかけるクルマやバイク、音楽や洋服を求めていると感じるんだ。ボクはバイクに詳しくないけど、SRが次世代の環境性能を備えたぐらいでほぼ変わらずキャリーオーバーして復活したのも、みんながそういうシンプルさを求めているからでしょ?
でも、ひとつ忘れちゃいけないことがある。それはこうした衝動が「前を向いているか否か?」ということなんだ。
一見するとポルシェもSRも「あの頃は良かった」と過去を懐かしんでいるようにしか見えない。けれど、そこには未来というメッセージが隠されてる。そうボクは感じる。
今を生きてる若者たちがオールドスクールに憧れるのは、それが彼らにとって新しいからだ。これだけ面白ければ不便だってガマンしますよ、って感じだろう。
時間軸的に後ろを向こうがそうしたバイクやクルマやファッションが「今の当たり前」を否定して、時代に抗えるから若者の心には真実の光が射すんだと思う。なんか本格的で、ウソっぽくないってね。
ボクが20代の頃に、’68年式のアルファ1300GT Jr.を手に入れたのも、「その頃の今のクルマ」にはないカッコ良さがあったからさ。
エアコンはハナからないし速くもないけれど、当時のクルマやバイクたちにはないキャブレターの鼓動に心を振るわされ、愛らしいジウジアーロのデザインに時間差で悶絶したんだ。何よりクルマというものを、熱く本気で作っている威厳みたいなものがあると思えたんだ。
そういう意味では、今のクルマたちは、あまりに商業的だ。マーケティングって言葉は僕たちの要求を聞き集めた結果だと言うけれど、どうにも嘘っぽい。そりゃ便利なものは付いてた方がいいけど、本当に欲しいものはそれじゃない。
90年代に聴いても「ジャンピングジャックフラッシュ」のイントロにぶっ飛べたのは、そのEのコードで始まる歪んだサウンドが生まれて初め聞く音の出し方だったから。
ニルヴァーナはリアルタイムだったけど、あの単純なコード進行で延々すべてのメロディーをつなぐシンプルさに驚き、シャープコードで落とす歪んだ衝動と、カート・コバーンの歌い方にはウソがないと直感した。
そういうの、人間ってきちんとかぎ取るんだよ。
ファッションや音楽ではよく「時代は繰り返される」と言うけれど、それは単なる同じことの繰り返しじゃない。真実を受け継ぎ、繰り返すことは即ち伝統で、それを現代で繰り返すには自ずと新しさが加わる。だからボクたちは前に進んで行くことができる。
ロックンロールが死んだと言われる理由があるとすれば、それはボクたちが何かに抗わなくなったから。生きる上で疑問を感じなくなったからだ。
wifiにつなげば何でもタダで答えが見つかって、間違って叩かれることを恐れて無駄な抵抗をせず、効率的に要領よく生きていける道を取るようになる。
生きることはプロセスそのものであって、それを放棄しているから生きてる心地がしないんだ。
ただ、今に疑問を感じて、抗い続けることやもがき続けることが生きることだってのは、年を重ねてだんだんとわかってきた。
だからこそボクはシンプルなものを求め続ける。常識的な世界から見た異質が、ボクのフツウ。いつだって、とびきりのフツウが欲しいだけなのさ。