モタスポ見聞録 Vol.23 パリダカの概念

文・三橋 淳

パリもダカールも、そしてアフリカさえも走らなくなった。それが2019年は国すら跨らなくなった。ペルー1国での開催で、クロスカントリーという概念すらも捨て去った。

 つまり、パリダカとして受け継がれるものは、何一つ無くなった。

 パリダカから冒険が消えた。と、いう声をよく聞く。では、いつまでが冒険ラリーだったのか? 裏を返せば、コンペティション化はいつからか始まったのか? という問いでもある。私の見解では、当時の主催者代表、ユベール・オリオールがアマチュア支援を行った時からだと思っている。

 ダカールラリーは、アマチュアの冒険レースとして始まった背景がある。第1回から参加した、先出のユベール曰く「初日のアフリカステージをゴールして、そういえばご飯どうなってんの? ってその時初めて気がついたんだよ。ご飯がないってことに! で、みんなで右往左往して食料探したんだよ!」というほどに、最初はぶっ飛んでいた。

 そんな草レースにメーカーが参戦しはじめ、尖った競技志向へと変化するが、競争が出来たのはワークスチームだけ。何しろ、ベースは先に挙げたようなはちゃめちゃなレース。大半のアマチュア選手にとっては競争というより完走をを目指す冒険レース、というのが根本にあったからだ。

 ハードルを圧倒的に下げたのが、アマチュア支援を行なった90年代後半。GPSを全員に配り、温かい食事も用意した。メーカーもマシンレンタルを充実させて、ワークスマシンに近い車両を誰でも借りられるようになった。これによって、誰もが勝負出来るようになった。その波に乗って参加したのが、私だ。そう、僕ら世代はすでにダカールラリーを冒険レースとは捉えていない。いかに上位に食い込めるか? 成績こそ大事。初参加の時からそうだった。今のダカールラリーはそんな考えの選手が大半を占めている。

 そうでない選手は、大抵エクストリームなコースの前に潰されてしまう。昔のように、さほど上手じゃなくても、諦めず、ゆっくりでも走り続ければゴールする、というコースではない。テクニックがなければ、走りきることが出来ないからだ。つまりは、もはや冒険者など不要。求められているのは、エクストリームスポーツ選手だということ。

 実際、今年のダカールラリーは観戦者として見ると、とても楽しかった。王者と言われたペテランセルでさえリタイアし、バイクでは最終日まで優勝争いがもつれた。最後の最後まで何があるかわからない。手に汗握る展開は、観戦スポーツとしては最高に面白い。

 場所を変え、道具も変わり、そして概念までも捨てたダカールラリーは、どうなっていくのだろう? ダカールを幾度もバイクで優勝し、2年前まではコースディレクターを務めたマルク・コマは、こう答えている

 「今のダカールに2週間もいらない。5日で十分だ」

 そのくらいスプリント化が進むかもしれない。その証拠に、今年は競技期間が10日間だったが、私が初めて出た2001年には3週間もあったのだから。


2019年は全ルートがペルー国内で行われ、その大半が砂漠地帯であった。四輪はToyota Gazoo Racing South Africaが初制覇。二輪はRed Bull KTMが表彰台を独占。優勝したのはトビー・プライス。トラック部門はKAMAZが3連覇を果たした。またトヨタオートボデーTeam Land Cruiserが市販車部門6連覇(総合24位)、HINO TEAM SUGAWARAは排気量10ℓ未満クラス10連覇(総合9位)の成績を残した。(photo/Marcin Kin)

Jun Mitsuhashi

1970年生まれ。1999年より本格的にライダーとしての活動を始め、2003年に四輪ドライバーに転向。ダカール・ラリーでは二輪と四輪、アフリカと南米でそれぞれの参戦経験を持ち、数々の成績を残している。
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