「このバイクは遅い」。ホンダの本格的な取り組みは、ライダーが漏らしたこの言葉から始まった。
24年ぶりの復帰。かつての「パリダカ」を知る人間は、すでにチームにはおらず、すべてが手探りの挑戦。マシンは市販車の改造型だった。「正直、最高速さえあれば通用すると思っていた」が、違った。2013年のダカールを終えて、HRCはすぐさま新しいマシンの開発に着手する。すべてを一から作り上げる真のファクトリーマシン。翌2014年は、非公式ながら、砂漠でのトップスピード185km/hを記録。450㏄の単気筒エンジンとしては驚異的といっていい。
言うまでもなく、HRCの開発力は世界の頂点にある。他メーカーが20年かけて培ってきたノウハウを、1年の開発期間で凌駕してしまう技術があるのだ。そう理論上は。
しかしダカールは甘くなかった。「マシンの性能ではすでにKTMに優っている」と言われ、事実、ステージ優勝を重ねながらも未だ勝利をつかめていない。あと一歩のところでマシントラブル、あるいは優勝争いをしながらのクラッシュ。昨年はルールの解釈の違いによるペナルティという事件もあった。勝てる力を持ちながら、ライバルKTMファクトリーチームの後塵を浴び続けているのはなぜか。
当初から主に車両開発の分野を担当し、すべての現場に立ち会ってきた本田太一は、2017年のダカール後からチームを統括するラージプロジェクトリーダーの任についた。
「チーム運営、ライダー、マシン。この三つの要素がバランスよく機能することがラリーではとても重要だと考えています。もし我々がライバルのKTMに遅れを取っているとしたらそこです。そして彼らが20年以上に渡って培ってきた”経験”。2017年は「これなら勝てる」という確信を持てる体制でのラリーでしたが、結果としては敗れましたね。走りではなく、ルールの解釈の違いが原因でしたが負けは負けです。もっと慎重に考えていれば結果は違っていた。でもそれがラリーに必要な総合力だと今は考えています」
ダカールはFIM(国際モーターサイクリズム連盟)と、主催者ASOの2つのルールによって運営され、さらに毎日のブリーフィングで細かなルール変更も行われる。2017年はそれが敗因となった。「これもラリーの厳しさなのか」 釈然としない思いを、本田太一はどのように消化したのだろうか。
これは勝てる。そう思わせたところで、勝利の女神は裾を翻してきた。ツイてないと思ったことはないか? という質問に、本田太一はこう答えた。
「ありますよ。ああ、またか、って。でもその瞬間だけです。原因は必ず自分たちの中にある。ラリーに運、不運はないんです。それをしっかりと受け止めて、ひとつひとつ問題を解決していくことが勝利につながると思っています」
それはおそらく、16連勝という記録を更新してきたライバルチームにとっての20年間だったということを、本田太一は理解している。2018年、さらに強くなったHRCが勝てるかどうかは、誰にもわからない。
本田太一