ダカールはモータースポーツの世界における一方の頂点だ。メディア露出量だけを見ても、単独のイベントとしてモトGPやWRCを遥かに凌ぐ(*)。
砂漠という隔絶された空間を舞台にしながら、GPSによるトラッキングシステムや、空撮を駆使した映像によって、自宅にいながらにして、ネットやTVなどでもトップライダーたちの激戦を間近に感じることができる。
2015年に初出場して3位入賞という快挙。翌2016年はファクトリーマシンを与えられ、王者KTMのエースとして遇されることになっトビー・プライスはその喜びをこう表した。
「世界中の人たちが、2週間ものあいだ、トップ争いをするたった5人ほどのライダーの動向に釘づけになるんだ。そのうちの一人に僕がなれるなんて!」。一握りのトップ選手を大量の資金と人員、物量で支え、1分1秒を争う。人々はそんなヒーローに自分の夢を託す。
今年、ダカールにはもう一人のヒーローが誕生した。英国から参加したプライベーター、リンドン・ポスキットだ。彼が参加したのは
プライベーターのラリーはそれ自体が過酷で冒険的だ。今年の優勝タイムを見ると、今やSSでの平均時速は100㎞/hに迫る。400㎞を本当に4時間ほどで走りきってしまう。それはスプリントレースにも例えられるほどだ。一方、プライベーターのタイムは時にその倍にもなってしまう。さらに500~700㎞もの移動(リエゾン)が加わって距離は800㎞、時間にして15時間を超えることもある。ずぶ濡れでビバークに到着し、泥の上にテントを張って、バイクを整備して、横になってうとうとしたらもうスタートの時間。冷たい雨の中、また長い一日の始まりだ。
今年、日本から風間晋之介が初出場したのはMalleMotoクラスではなく、バイク冒険家の父、風間深志がサポートに同行する親子二代の挑戦だ。モトクロス国際A級という今のダカールでは最低限と言える程度のライディングスキルだけが、彼の拠りどころだったのではないか。過酷なラリーを初出場で乗り切って67位で完走してみせた、その底力についてはいずれ機を見て書くことになるだろう。167名がエントリー(Motoクラス総数)、9,000㎞を走りきってブエノスアイレスのポディウムにたどり着いたのは97名というラリーだった。
2014年に母国イギリスを出発。一台のバイクで旅をしながら各地のレースに参加し、世界中のライダーを友情でつなぐプロジェクト”Race to Places”を実行。ダカール2017をそのフィナーレと定め見事完走した。
初出場で「完走」という目標を達成。サポートチームとしてラリーに同行した風間深志は、1982年、当時のパリダカに日本人として初出場し18位で完走した記録を持つ。親子での夢の実現でもあった。