私にとって、イギリスという国は生と死を強烈に突きつけてくる土地だ。
文明と社会が発達するほど、生と死の境界の壁は高く厚くなり、溝は深く広くなるものだが、先進国の代表であるはずのこの国でそれらが霧消してしまう瞬間を多々感じるのである。
それはおそらくこの国の乾いて痩せた大地と風、高緯度地帯ならではの昼夜の明暗差から来ているのではないか。緑の草地が広がる牧場となだらかな丘陵がどこまでも続くイングランドの景色は、一見すると平和で穏やかで美しい。しかし3日もこの景色を見ていると気づくのだ。ひと皮剥いたこの大地に滋養は乏しく、あらゆる生命は日夜身の危険に怯えているのだ、と。
生半可な知識と知恵が導いた直観だから、きっとあちこちが短絡しているし、破綻しているだろう。これが正解とは思っていない。
そんな印象を抱いたこの国で、私が気に入った習慣がメモリアルベンチだった。公園や広場、沿道のふとした場所にあるベンチの背もたれの中央に、真鍮や銅の銘板がついていて、故人の氏名と存命期間、どんな人物であったかが簡潔に記されている。いわば墓標である。かといって死んだ人間すべてのメモリアルベンチがあるわけではないから、遺族や友人が忘れ形見として作り、縁ある場所に置くのだろう。墓地なら理由がないとそこへは行かないが、こうしたベンチなら宗教や人種、あるいは歴史に依らず、腰かけた誰もが故人に思いを馳せることができる。絶対に出会うことができない人間と袖をすり合うのは存外に心地よく、楽しいものだった。
3年前のマン島TTで松下ヨシナリが死んだとき、私の脳裏をよぎったのは彼のベンチがあってもいいではないかという思いだった。少年の頃にそれと知らずに憧れたバイクレースがマン島TTだと知った松下は、2009年にマン島TT初挑戦を果たしたが、マウンテンコースでクラッシュした。全治数ヶ月の重傷を負ったものの、リハビリに励むと2年後に再びマン島TTに挑んだ。その年は3クラスに参戦してスーパーストックとシニアで見事完走を果たした。翌年はスーパーバイクでの完走にも成功したが、マン島TT100年以上の歴史で初となる天候不順によるシニアTT中止が、松下をマン島TTに留めた。そして2013年、1,000㏄マシンによる3クラスだけでなく600㏄のスーパースポーツへの参戦も決めた松下は、その初走行となるプラクティス初日、ジャンプポイントでの着地に失敗して路肩の標識に激突。即死したのだった。
彼の死に対して私ができることはいくつかあったが、そのひとつが松下ヨシナリの名を刻んだベンチをどこかに置くことであり、それは私にしかできないことにも思えた。
当初は日本に置くことを打診してみたが、文化風習の違いからか、受け皿を見つけられなかった。そこでマン島住民であり、松下の親友でもあるピーター・カリスターさんに相談すると、彼は「できると思う」と答えた。マン島を日本のバイクファンにも体験してもらいたいと、旅行代理店に企画を持ち込んで観戦ツアーを組むほど、松下はマン島を愛していた。それに日本にはもちろん彼の墓がある。むしろ松下のベンチはマン島にあるほうがふさわしいようにも思えた。
この計画に共感してくれる人は他にもいるはずと考え、ベンチ製作や設置にかかる費用は有志から募金した。ピーターさんは木工職人への製作依頼と、設置場所の所有者との交渉を快諾してくれた。木工職人はベンチ製作以外、設置や維持にかかる費用を受け取ってくれず、積雪する冬期はベンチを引き上げるとまで言ってくれた。
その甲斐が実って今年5月27日、マン島のガスリーズメモリアルと呼ばれる場所に松下ヨシナリの祈念ベンチが置かれた。ここは松下がマン島の中でもいちばん好きだった場所だ。設置予定日は諸事情で繰り上がったそうだが、奇しくもその日は松下の命日だった。
ピーターさんから連絡を受け取った私は彼に礼を言うために、そしてこのベンチでTT観戦するためにマン島へ飛んだ。ベンチへ腰を下ろすと、レース開始前の道路封鎖されたTTコースは静かで、風の音と虫の羽音だけが鼓膜を震わせた。遠くを見やれば羊が草を食み、なぜかベンチの傍らには死んだ羊の頭骨が転がっていた。
いくつかの思いが去来する中、芯として残ったのは「俺は生きてるのではなく、生かされているのだ」という思いだった。私のわがままな妄想がこうしてかたちとなったのは、ピーターさんや募金に賛同してくれた多くの人々をはじめとする、この計画に携わってくれたすべての人々のおかげだからだ。それだけではない。足元の草花や虫や羊、乾いた冷たい風や大地、この世界を構成するあらゆる有機物と無機物のどれが欠けても、私はここに存在しなかっただろう。短絡も破綻もしてるだろうが、ふとそんな気がした。
ともあれ、私はマン島を訪れる理由をもうひとつ作ることができた。いや、ひとつだけはない。ベンチを通じて私はピーターさんやたくさんの新たな友人を得た。きっと彼らに会うために私はまたマン島へ行くだろう。
旅の動機はいくつあったっていいのだ。