定番とは何か

写真・長谷川徹

 スタンダード、オーセンティック、トラディショナル、そしてクラシック。どれもクルマやバイクのことを表現するときによく使われる言葉だ。


言葉の意味はそれぞれ微妙に異なるけれど、どの言葉も一様にそれが「定番」であることを表している。
定番がなぜ存在するのか、なぜ人は定番を求めるのか。
クルマやバイクに所縁ある「定番」とは何かを考えてみたい。

なぜ今イギリスブランドがウケるのか

 世界中で統一された単位の採用が推し進められている。「SI単位」とか「国際単位系」と呼ばれるフランス主導のそれはメートル法の延長線上にある。だが頑なにユーロの導入を拒んだイギリスという国は、今なお長さをインチやフィートで、速度をマイルで、重さをポンドで考えているのが実情だ。

 日本人は愛車のオドメーターが10万キロに近づくと、そろそろ買い換えどきだと感じる人種だが、それはマイルに換算すれば6万2500マイルに過ぎない。我々がイギリス人に紳士的で悠長なイメージを持ち、ことほど左様にイギリス車のドライブフィールにゆったりとした時の流れを感じる背景には、キロメートルとマイルという単位の違いにも似た独特の時間軸があるように思う。

 実際に我が国でイギリス車を溺愛している人物は、まるでイギリス製の革靴を使い込んで深まる色合いを愉しむように、手に入れた1台を長く大切に乗ることを良しとしている。一方のイギリス車自体にも、長期のオーナーシップを当然と考えている節が見受けられる。古いジャガーの説明書には「シートに使われている革は乗り始めこそ硬いが、2万マイルほどの走行でオーナーの体形にフィットしたものになる」と書かれているし、ベントレーのそれには「クルマを長期保管する場合」と題して、プラグホールからエンジン・オイルを数滴ずつシリンダー内に垂らすという指示が書き記されているほどだ。

 だが経済的な視点からイギリス車メーカーの立ち位置を俯瞰してみると、これで本当に地に足が着いているの? と疑いたくなるような構図が浮かび上がってくる。

 ロールスロイスとベントレーの蜜月はドイツ人同士の取引きによって突然終わりを迎え、ロータスも幾度かの危機の後、GMを経由してマレーシア企業が指揮権を握っている。古豪ローバーは看板ブランドであるミニとランドローバーを抜き取られて実質的な終焉を迎えた。アストン・マーティンとジャガーとランドローバーはイギリスに深く根を張っているフォードの指導でブランドとしての魅力に覚醒し、中東とインドの資本に支えられて今日に至っている。

 小規模でマニアックで数多あるスポーツカー・メイクスを除けば、イギリスの自動車ブランドは全て外資の手に渡ってしまっているのだ。

 そんな体たらくであるにも関わらず、長身のジェレミー・クラークソンは世界中のクルマに対して思ったままの皮肉を口にして、車体に火をつけて崖から落として平然としている。それが許されるのは、彼がかつて7つの海を支配して植民地を増やし、今なお世界金融の根っこを握るイギリス人の末裔だからだろう。

 歴史を振り返れば好不調の波こそあれ、イギリスの自動車には長い時間をかけて培ってきた普遍的な魅力が備わっている。だからこそ高速安定性と信頼性が先行し、そこに動的な質感や佇まいの良さを込められずに悩んできたドイツ人や、21世紀なって懐具合が急激に良くなってきた自動車新興国の資本家たちが、こぞってイギリス・ブランドを手中に収めたいと考えたのである。

 イギリス車は外資に乗っ取られた負け組ではなく、世界が憧れる勝ち組なのである。だからこそ、イギリス・ブランドを手に入れた誰もが、工場をそっくり海外に持ち出してしまおうなどとは考えなかったし、これまでイギリス人がしてきたよりも遥かにイギリス濃度の高いモノ造りを推し進め、結果的にブランド規模の拡大に成功しているのである。

 イギリス車のイメージはしばしば伝統的と形容されるが、我々日本人はこの言葉を正しく解釈しなければならない。「伝統」は「保守的なもの」であると捉えられがちだが、実際は違う。クルマの世界で言えば、ギアボックスの上にエンジンを横置きして前輪を駆動したミニは、’60年代の保守的なクルマ好きが眉を顰めるほどの革新的な産物だったのである。

 革新的だからこそ長い間カタチを変えずに使い続けられることができ、それが結果的に「伝統」という言葉に置き換わっていくのである。

 ボーダーレスに自動車産業が進化する昨今だが、しかし伝統は今日も連綿とイギリスの地で育まれている。

文・吉田拓生
Takuo Yoshida
自動車雑誌「Car Magazine」編集部に12年在籍した後、フリーランスライターに。クルマ、ヨット、英国製品に関する文章を執筆。クルマは主に現代のスポーツカーをはじめ、1970年以前のヒストリックカー、ヴィンテージ、そしてレーシングカーのドライビングインプレッションを得意としている。

「特集 定番とは何か」の続きは本誌で

究極の定番はポルシェ911だった
石井昌道

なぜ今イギリスブランドがウケるのか
吉田拓生

ボンネビルという永遠のトレンド
佐川健太郎

定番を着こなすことの難しさ
若林葉子


定期購読はFujisanで