定番を売るということ ネグローニ:受け継がれた定番

 親から子へ、職人から職人へと引き継がれ、誰が作っても同じものができる。そんなもののことを「定番」と言うのではないか。ずっとそう思っていた。

 でもここには、ちょっとちがう「定番」の姿がある。

 今や日本発のドライビングシューズブランドとして、唯一無二の地位を確立しているネグローニは、古くは「靴の町」として栄えた浅草にほど近い、南千住をルーツとしている。隅田川を横目に眺めながら、工場とショールームが一体となったようなオフィスを訪ねると、30歳の若さで二代目を継いだブランドディレクター、宮部修平さんが爽やかな笑顔で出迎えてくれた。その隣りで微笑んでいるのは、お母様である取締役社長の明美さんだ。先代の修一さんが亡くなってから、まだ1年半あまり。怒濤の日々を過ごしてきたことは想像に難くないというのに、そんなことは微塵も感じさせず温かい言葉をかけてくれる。明美さんのこの人柄が、ネグローニをずっと陰で支えてきているのだろうと感じる。

 2階のショールームに入ると、まず目に飛び込んでくるのは完璧にディスプレイされた、新生ネグローニが創り出す世界観だ。でもどこか、その世界だけに留まらない不思議な感覚をおぼえる。片側がガラス張りになっていて、そこから工場の製造風景が一望できるという、ちょっと新鮮なレイアウトがその一因だろうか。ひと昔前ならば、お客様に見せるのはショールームでの完璧な世界観だけで、そのいわば舞台裏は隠すのが常識だったはず。あえて、商品を手に取りながらその製造過程を見てもらおうという発想は、それによってより深くブランドを理解してもらいたい、安心や信頼を届けたいという修平さんの想いに加えて、世代ならではの感性がもたらしたものにちがいない。

先代の修一さんの手によって生み出されたイデア(左上)とイデアコルサ(左下)。ドライビングシューズの定番として現在も売れ続けている。

 シューズだけでなく、バッグ、キーケース、ポーチとさまざまな商品が並ぶショールームはつい目移りしてしまうが、やはりスッと手に取るのは「ネグローニといえば、これ」と言える馴染みのあるドライビングシューズ、「イデア」だ。先代がどっぷりとドライビングシューズ・メカニズムの研究に没頭し、ようやく生まれたこの一足は、のちにネグローニのベースコンセプトとなる多くの技術によって成り立ち、ドライビングと歩行における絶妙なバランスがネグローニのドライビング・フィロソフィーを決定づけたものだという。

 さらに、形状を変えることのできるウェットカーボンを見つけた先代が、「カーボンが靴に使える時代が来た」と歓び、誕生したのが「イデア」のハイエンドバージョンである「イデアコルサ」だ。まるでカーボンに浮き彫りになるような「n」のエンブレムが印象的で、立体成型でヒールホールド性が飛躍的に向上したバケット・インソールも初採用されている。そしてこれが、先代が手がけた最後のモデルとなった。

 「父が生きている頃は、しょっちゅう衝突していましたね。ほんの小さなことでも、まるでコンペをするようにバチバチと火花を散らして闘って、ライバルのような凌ぎあいをしていました。今では、自分と相手の感性を正直にぶつけ合える関係というのは、良かったのかなと思えますけどね」

 そんな修平さんが、実は先代の生前にデザインして、何も知らせずにリリースしてしまったモデルがある。当時、修平さんは焦っていたのだという。ネグローニの顔として「イデア」が浸透してきたのはいいが、このままいくと世界が狭くなってしまうのではないか。nのエンブレムやスニーカータイプにとらわれ過ぎていないか。でもそれを先代には言い出せないまま、一度ゼロにリセットしたいとの想いで生み出したのが、チャッカーブーツタイプの「クワトロ」だった。この、一見するとオーセンティックなチャッカーブーツにしか見えないデザインにも、修平さんならではの感性がある。

 「取引先の会社などを訪問した時に、スニーカーでエントランスを抜けるのがイヤだったんですよ。だから、機能はしっかりとドライビングシューズでありながら、そうは見えない、スーツにも似合うようなデザインが欲しいと思ったんです。それまでは、木型をプレーンで使うというのもタブーだったんですけど、それもゼロに戻して。〝ドライビングシューズだったら、何をやってもいい〟という発想に切り替えたんです」

 繊細でタフなスポーツドライビングを可能にするという、ネグローニの哲学は「イデア」と変わらない。でもまったく別の顔をもつ「クワトロ」が完成したことによって、修平さんはさらなるチャレンジに打って出る。チャッカーブーツよりももっとトラディショナルなイメージのある、ダブルモンク・ストラップをドライビングシューズとして再解釈しようとしたのだ。

 それは、「父と直線的に同じことはしたくないんです。なんというか、死んだあともまだ勝負が続いているような感じなんです」と言う修平さんが、初めて真っ向から父に挑んだものだったのかもしれない。定番を超えたいという想い、修平さんにしか創れない定番を創るんだという想い。さまざまな想いがあったのではないだろうか。

 その挑戦は簡単ではなかった。でも試行錯誤の末、完成した「フィオラノ」は、未だかつて誰も見たことのない、新感覚のドライビングシューズになった。しかも、スニーカータイプよりも何よりも、ネグローニ史上最高のフィット感という、誰もが驚く成果を導き出したのだった。

修平さんが手がけたフィオラノ。着脱しやすいようにベルトタイプのストラップをジェラルミン製のフックに改良した。

  「フィオラノには、新しいネグローニの哲学が込められたと思います。時代を求めた結果でもあるし、若い世代の感性にも響くものになりました。でも、実は木型とソールはイデアと一緒なんです。あらためて、定番がちゃんとあるから、こっちができたのだと思うし、引き立て合うことができたのだと思いますね」


 あれだけ衝突してきた先代だが、修平さんにとって、ひとつだけ素直に同意できる考え方があったという。それは、「シーズンごとに、デザインをいろいろ作るな」というもの。お客様にとっては、いつまでも同じ靴を履くことができる。長い期間をかけて、その靴を楽しんでもらえるようにしたいという考え方だ。そこに修平さんは、新しいデザインをリリースしていくにあたり、「ひとつひとつの履き心地、楽しみ方は変えていく」ことをプラスした。ネグローニの靴はどれを履いても同じというのではなく、「こんなシステムが隠れてたのか、とお客様に発見してほしい」のだという。

 父が生んだ定番は今、息子の感性によって新たな息吹が吹き込まれ、その世界をどんどん広げていっている。それはきっと、定番とは人が生きた証でもあるからではないだろうか。「僕がイデアに手を加えることは、もう無いと思うんです。でも、なんかアイツにはいつまでも頑張って居座って欲しい。そんなふうに思っています」 亡くなってもなお、息子にとって父の存在は大きい。だからこそ、息子もそれを超えようと大きくなれる。定番というものが映し出す、親子だからこその葛藤や愛情が、ここにあふれていると感じた。

文・まるも亜希子/写真・長谷川徹

NEGRONI
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「femme特集 定番を売るということ」の続きは本誌で

ネグローニ:受け継がれた定番
まるも亜希子

スタジオ オリベ:定番だけを作り続ける
岡小百合


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