バリー・シーンのいた時代

 1983年の今くらいの季節だった。茅ヶ崎のガレージ湘南でジンプライズのウエストバッグを買ったときにもらったスズキのカレンダーに、バリー・シーンのページがあった。

 ワークスカラーとは異なる青と白に塗られたRGBに乗るバリー・シーンは、他のライダーよりも洗練された雰囲気が感じられたことを覚えている。その頃は、世界GPのテレビ中継どころかビデオも普及して無かったので、バリー・シーンがどういうライダーなのかをよく知らなかった。後になって英国王室から大英帝国勲章を授与されたイギリスの英雄で、’70年代後半にケニー・ロバーツとバトルを繰り広げていたことを知った。しかしそれよりも興味深かったのは彼の生き方だ。

 当時、前年のチャンピオンのゼッケンは1番にする決まりがあったのだが、彼はチャンピオンを獲得した翌年も気に入っていた7番を使い続けた。また子供のころ被っていたヘルメットにドナルドダックが描かれていたことにも拘り、ヘルメットメーカーのロゴマークが入る部分にドナルドダックを描き続けている。さらに表彰台でタバコを燻らせるばかりか、担架で運ばれるときでさえタバコに火を点けた。納得できなければチームを介さず直接オフィシャルと言い争い、所属するメーカーの悪口をテレビカメラの前で躊躇なく喋るなど常に物議を醸した。彼はいかなる場面でも自分のスタイルを貫き通したという。

 こうしたエピソードを連ねると自分勝手でアウトローな輩に思えるが、彼は決して低俗な人間ではない。二輪レースの地位を向上させるためにエンターテイナーとしてどうあるべきかを考えて行動していたのだ。’76年のF1チャンピオンであるジェームス・ハントや元ビートルズのジョージ・ハリスンと親交を深め、マスコミの前ではウイットに富んだジョークを連発、7ヵ国語を使い分けるインテリジェンスを持ち、分け隔てなくあらゆる国のライダーとコミュニケーションをとった。そして選手生命が脅かされる瀕死の重傷を負っても、短期間で一線に返り咲くといった作り話のようなドラマを二度も演じている。

 彼がこの世を去って早くも12年が過ぎた。しかし今もバリー・シーンは自分の中で特別な存在のままだ。それはグランプリライダーとして以上に、ひとりの人間として魅力的で、男として憧れる要素が多いからに他ならない。インターネットで何もかもが晒し出されて揚げ足をとられる現代、バリー・シーンのような本物のスターが生きていくには難しい時代になってしまったように思う。

文・神尾 成 写真・原 富治雄

DVD『BARRY SHEENE』
世界GP500ccクラスで’76、’77年にチャンピオンを獲得した英国で最も有名な二輪ライダーであるバリーシーンの世界GP参戦初期から引退後の活動まで本人のインタビューを交えて収録。(字幕付き)
価格:3,024円(税込)
発売:ウィック・ビジュアル・ビューロウ
http://wick.co.jp

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