もう10数年前になるけれど、親族の葬儀のため関東郊外の親族宅にうかがったときのこと。その集落では葬儀が終わると、親族、一般会葬者関係なく家に集まって、夜遅くまで振る舞い酒をいただくのが慣習となっていた。
亡くなったのは大往生のおばあちゃんだったので、葬儀の席とは言え、懐かしい面々の集まる同窓会のような和やかな雰囲気で夜は更けていった。
遠方からクルマでやってきた人もたくさんいて、みんなこんなに飲んで酔っぱらって、どうやって家に帰るのだろう?と心配になったころ、一番酔っぱらっていた上の伯父がクルマを運転して帰ると言い出した。そこは、いちおう鉄道は通っているものの、1~2時間に一本しかない。バス路線はなく、タクシーも代行運転業者もない過疎の地域である。
伯父の家まではクルマで山道を走ること小一時間。さすがに危ないし、そもそも飲酒運転は道路交通法違反である。そこで、飲んでない私ともう一人が運転代行のようにして送っていくと申し出てみたのだが……。
「都会の人がこんな田舎道を運転するのは危ない!」と、頑なに拒む伯父夫妻。彼らの言葉を翻訳すると、「わざわざ送ってもらうなんて迷惑をかけてしまう。人様に迷惑をかけるわけにはいかないので自力で帰るよ」である。
冠婚葬祭にはお酒が付きものである。民俗学者の柳田國男の言説を持ち出すまでもなく、日本では古来より「酒」を含む「米」は聖性を帯び、「ハレ」の日の神事にはそれらが重要な役割を果たしてきた。葬儀の席で酒をふるまい、ふるまい酒を頂くことは、死穢を払い、死者を弔い、そしてコミュニティの紐帯を深めるという様々な役割がある。つまり、そういう意味において伯父は正しい〝 ふるまい 〟をしたのだと言える。
しかし、今はすでに21世紀の現代ニッポンである。都会だからとか田舎だからとか、そんなことは関係がないんである。私はオートバイのプロだし、連れも同じく運転のプロなのは伯父も知っていたはず。なのに、そんな頓珍漢なことを言う伯父は、要するに泥酔状態にあったわけだ。
「だいたい、飲酒運転で事故を起こした人なんかいないべ?!」
ついには、喪主までが加勢してきた。
ええい、こうなったらアノ話を持ち出すしかあるまい。
「私のもう一方の親族に飲酒運転で死亡事故を起こした人がいます。亡くなったのは一人ではありません。何人か亡くなりました。その人は刑務所に入りました。自宅も売らざるを得ませんでした。これ以上、加害者の身内になんかなりたくありません! どうしてもって言うなら、今から110番通報します!」
その後、東名や福岡などの飲酒運転による死亡事故をきっかけに、飲酒運転の罰則が厳しくなった。社会通念も変化して、昔のように飲酒運転が当たり前のような雰囲気はなくなってきた。それでも、たまに飲んで運転する人を見かける。そしてわたしは、うんざりしながら、またアノ話を持ち出すのである。
【参考文献】
石毛直道(編)『論集 酒と飲酒の文化』1999 平凡社
柳田國男『定本柳田國男集 第十四巻』1933 筑摩書房
【道路交通法】
酒気帯び運転等の禁止
第六十五条 何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない。
2 何人も、酒気を帯びている者で、前項の規定に違反して車両等を運転することとなるおそれがあるものに対し、車両等を提供してはならない。
3 何人も、第一項の規定に違反して車両等を運転することとなるおそれがある者に対し、酒類を提供し、又は飲酒をすすめてはならない。
オートバイ雑誌の編集者を経て1998年に独立。
現在はフリーランスライター、ライディングスクール講師など幅広く活躍するほか、世界最古の公道オートバイレース・マン島TT レースへは1996年から通い続け、研究テーマにもするなどライフワークとして取り組んでいる。