F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Vol.56 揺らぐF1の地位

 F1は負のスパイラルにはまりこんでいるのだろうか。迷走ぶりはシーズン当初から現れていた。F1は今シーズン、前年までの2.4ℓ・V8自然吸気エンジンから、1.6ℓ・V6直噴ターボに切り換えた。合わせて、ハイブリッドシステムの内容を強化する変更を行った。

 問題となったのは、エンジンが発する音だった。レース中に使用できる燃料の量が規制されたため、’14年はどのマシンも例外なく、前年より約3割少ない燃料で走らなければならなくなった。単に燃費走行をすれば遅くなってしまうので効率を上げ、3割少ない燃料で前年並み、あるいはそれ以上の速さを手に入れた。

 1滴の燃料を効率良くパワーに置き換える開発を進めた結果、無駄が少なくなったのだ。その無駄のひとつの現れだった音も小さくなった。音の小ささは技術力の裏返しなので、本来なら胸を張ってしかるべきなのだが、「迫力がなくなった」と落胆する声があったのは事実。それを、「いや、そうじゃないんですよ」と啓蒙するのがF1の進むべき方向性だとは思う。だが、F1が試した方策は、テールパイプの出口をラッパ状に広げ、音を大きくしようとしたことだった。当然のことながら、この幼稚な試みは失敗に終わった。

 パワーユニットが高度な技術の集積になった結果、プライベートチームがパワーユニット製造業者に支払う代金は跳ね上がった。長引く景気低迷で運営に苦労していたところに、追い打ちを掛けるような格好になったのだ。それだけが原因ではないだろうが、ケーターハムとマルシャは深刻な経営難に陥り、第16戦ロシアGPを最後に参戦を見合わせた。
 一気に2チーム4台を失ったF1の出走台数は9チーム18台になった。なんとも寂しい限りである。再建を模索したが叶わず、マルシャはチーム解散を決めた。一方、ケーターハムはウェブサイト上で展開した募金活動が成果を挙げ、最終戦アブダビで復帰を果たした。

 ケーターハムのように、弱小チームがF1にしがみつく様子は、セレブの社交場としての一面を持つF1にふさわしくないと、苦々しく感じる向きがF1内部にある。そこで、資金面で余裕のあるチームに3台目を認める案が出されてもいる。

 チャンピオン争いを白熱させようと、最終戦の獲得ポイントを2倍にする規則変更が今季導入された。とんだ茶番なのは運用する前から明白で、案の定、1年限りで撤廃し、’15年は従来どおりのポイントシステムに戻す方向で話し合いが進んでいる。最近のF1は打つ手がことごとく裏目に出ており、それがファンのみならずドライバーやメーカーの目を他のカテゴリーに向けさせている。F1は本腰を入れて打開策に取り組む段階に来ているようだ。


大きなスポンサーの支援を受けるドライバーは昔からいたが、近年はドライバーの能力よりもスポンサーの存在の方が目に付く傾向が強くなってきた。ドライバーの起用に関し、「AがBチーム入りすることが決まったが、AにはCというスポンサーがついているからね」というような事情が露骨に見えてしまうのだ。自分の能力をストレートに発揮できない環境に嫌気が差してか、F1を究極のゴールとせず、ドライバーの起用が比較的健全に行われているWEC(世界耐久選手権)に流れる動きが加速している。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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