昨年の秋に「クルマからモビリティ、東京からJAPANへ。」を合言葉にした「ジャパンモビリティショー2023」の開催を受けて「自動車大改革時代の幕開け」と銘打った特集を組んだ。
そして今、クルマを表現するメディア側にも改革が必要になってきている。これまでは、クルマそのものの良し悪しを伝えるだけでモータージャーナリズムは成立してきたが、今後はクルマを取り巻く他の世界と関連付けてクルマを語っていく必要がある。
鼎談:岡崎五朗×近藤正純ロバート×若林葉子
まとめ・伊丹孝裕
モータージャーナリストと試乗レポーター
近藤正純ロバート(以下、近藤)これまでは、『ジャパンモビリティショー』の話題を軸に、自動車産業の未来を考えてきた。それを踏まえ、ジャーナリストやメディアは今後どうあるべきか、というテーマで進めていきたい。まず五朗さんに聞きたいのは、ジャーナリストとは一体なんなのか。その役割をどう捉えている?
岡崎五朗(以下、岡崎)定義は様々あるものの、一般的にはひとつの事象を取材し、それを個人の考えに基づいて記事に仕立てていくことだと考えている。起こった事実を客観的に伝えるルポライターやレポーターとは、目線が少し異なる。
近藤 自分の意見をどれくらい織り込むのかという度合いが違うってことだ。
岡崎 我々はモータージャーナリストという肩書で呼ばれることが多く、じゃあそれは、試乗レポーターとはなにが違うのか。必ずしも明確な境界線があるわけじゃないけれど、それを意識しているかどうかは結構重要なポイントだね。
近藤 本誌で連載してもらっている「岡崎五朗のクルマでいきたい」はモータージャーナリストとしての五朗さんということだね?
岡崎 そう。あの連載の本文中、試乗で得た感想は1台につき、3行くらい。他はそのクルマが登場した社会的な背景や存在意義、メーカーの戦略といった周辺の事柄に文字数を割いている場合が多い。反面、テレビ番組の方では(テレビ神奈川『クルマでいこう!』)、試乗レポーターとしての役割に重点を置いている。
編集者の役割と責任
近藤 五朗さんのようなジャーナリストと直接相対するのがメディアの編集者だけど、本誌の編集長を務めた後にフリーランスになった若林さんは編集者の役割をどう考えてる?
若林葉子(以下、若林) ひと言で表すと、編集者はゴールが見えている人。企画の出発点と着地点を決めて、あとは、そこに向かって誰になにを書いてもらうのかを判断することが主な役割で、全体を俯瞰しながら企画をまとめるのが、編集の仕事だと思う。
近藤 人をまとめるのはエネルギーが要るよね。
若林 ジャーナリストだけじゃなくて、原稿を分かりやすくするためにどんな写真を組み合わせるのか、その写真を活かすにはどうレイアウトすればいいのかも考えなきゃいけないから、カメラマンやデザイナーとのやりとりも密に必要で、コミュニケーション能力が求められる。
近藤 たった1ページでも多数の人が関わるから、意見がぶつかることも多いだろうね。
岡崎 かなりやり合ったよね。「こういう方向で進めてほしい」という提案に対して、「それはおかしい」、「だったらもう書かない」なんて侃々諤々はしょっちゅうだった。
若林 お互い年齢を重ねたし、結果的に信頼関係が出来上がったとはいえ、以前はいろいろありましたね。
岡崎 録音して聴かせたいくらいの論破合戦だったけど、言い方を変えると強い思いの表れでもあった。今はそういう編集者が極端に少ない。試乗レポートの仕事をあまりしなくなったのは、そのせいでもある。
近藤 それはどういうこと?
岡崎 たとえば新型クラウンが出た後、どこかの自動車雑誌の編集部から「もう乗りました?」と連絡がくるとするでしょ。試乗会に参加したことを伝えると、次にはもう「じゃ、締切は一週間後。大体150行くらいの文字量でお願いします」って話になる。
近藤 つまり、発注する側になにも意図がないし、ましてゴールなんか見えていない。
岡崎 その通り。新型クラウンが登場したことにどんな意味があって、そこに僕がなにを感じて、編集者としてどう料理したいのか。そんなあれこれがすっぽり抜け落ちていて、全部おまかせ。メール1本で原稿が出てくる自動販売機かなにかだと思われてる。
若林 編集者も、いろいろな技術や情報を把握しておかなきゃいけない。一例を挙げると、少し前にルノーが欧州初のストロングハイブリッド車を出してきたとき。これだけEV色が強まっている今、なぜフランスのメーカーはそれを選択したのか。日産との関係性がある中、なぜわざわざ自社開発に踏み切ったのか。そういう疑問を持ち、編集者が多少なりとも理解が進んでから執筆依頼をしないとページの方向性が見えなくなる。
岡崎 本当にそう。僕だって、なんの方向性もなく依頼されたら、走らせたらこうでした、燃費はこれくらいでしたっていう試乗レポートだけになるだろうし、それはそれで必要な情報だったとしても、そのクルマの本質的な部分が抜け落ちた原稿になる。
今後のクルマ表現について
近藤 「自動車業界が100年に一度の変革期を迎えている」と言われる今、メーカーのみならず、メディアもジャーナリストも変わっていかなきゃいけない。具体的にはどうしたらいいのだろうか。
岡崎 メーカーから新型車が出る限り、仕事のコアが試乗レポートになるのはこれからもそうだし、大切なこと。なぜなら、数ある選択肢の中でユーザーにとっては、どれを買うか買わないかの大きな判断材料になるからね。ただし、多くの製品が一定のクオリティを持つ今、それだけじゃ足りない。
近藤 さっき言ってた社会的背景みたいなこと?
岡崎 そう。カーボンニュートラルという大きな課題を前にして、無邪気にパワーやハンドリングのことだけを語っているわけにいかない。自動運転やクルマ以外のモビリティに対しても知識が必要。クルマの中のほんの一部分にしかフォーカスできないと、時代に取り残されていくのは間違いない。
新型車にしか広告予算がない現状
近藤 ジャーナリストになにを語ってもらうかは、編集者の采配に因る部分が大きい。
若林 ただ、新車紹介から外れていくと出版し続けることが難しくなる。私が編集長時代に、aheadらしい他とは違う記事に対して、メーカーの人から「aheadはおもしろいですね」とか、「先月のあの記事はよかった」と声にして評価して頂けることが多かった。こちらとしては、「では引き続き応援してくださいね」と言うのだけど、「いやぁ、(広告の)予算は新型車の紹介にしか付かないんですよ」となる。結果、試乗レポートか、それに近い企画の方が広告収入を得やすいので広がりがない。メーカーも変わっていかなくちゃいけないと思う。
岡崎 自動車関連だけじゃなく、日本のメディア全体が劣化していると思うんだ。それは、貧すれば鈍するを地でいっているようなもの。ビジネスとして広告収入が減っているから部数も減り、企画にも手間を掛けられなくなって、ネットでも読めるような内容になるから雑誌が売れず、さらに部数が減っていく……というサイクルの中で、なにが起きるのか。
近藤 内容が下品になっていったり、エキセントリックな企画に走ることが多いよね。
岡崎 そう。それを手にした一時はおもしろいのかもしれない。でも、現実も本質も語られないまま、無意味なことが垂れ流されることになる。文化を支えるための、いい意味でのタニマチ精神っていうのかな。製品を取り上げてくれるとか、宣伝効果が大きいだけじゃなくて、そのメディアの意思や姿勢を支持したいというクライアントが増えてほしいし、我々はそれに応えられるものを送り出さなきゃいけない。
若林 そうやって応援してくださるメーカーがある一方、メディアとしても旧態依然とした企画から脱却しないといけない。
日本のモータージャーナリズムは健全
近藤 日本にはクルマに関するメディアの数も、そこに関わるジャーナリストも多く、なによりメーカーの規模や多様性は世界屈指のもの。それらが三位一体となって日本の産業を支え、欧米に追いつき追い越せで発展してきた。日本カー・オブ・ザ・イヤーを筆頭とする団体もモータリゼーションの成熟に貢献してきたけど、この三位が今後どうあるべきかを見直すタイミングにきている。
岡崎 現状では、依頼の大半が試乗レポートだけ。カーボンニュートラルや自動運転のことを取材して報告しようにも、その場がないのが現状なんだよね。全体を底上げし、正しい方向に進むためにも、みんなで議論し、世論を動かし、日本の競争力強化に繋げていかなくちゃいけない。目先のことじゃなく、それくらい大きなところを見据えて動き出さないと、この沼からは抜け出せない。
近藤 メーカーを交えて、一度徹底的に今のスタンスを見直す必要がある。本当に試乗レポートが最優先なのか、ジャーナリストはそこに注力していていいのか、編集者もそれだけを望むことが本意なのか、そうじゃないならどうすればいいのか。そういう場を設けるのが急務だね。
岡崎 クルマ業界が健全なのは、ジャーナリズムの基本が成立していること。メーカーはメディアの声に耳を傾けてくれるから。クルマの出来を批判することは珍しくないけど、それに対して僕らが不利益を被ることはない。
若林 正しい見識に基づく批判については、メーカーもきちんと聞いてくれる。
岡崎 業界の先輩方が長年かけて築いてきてくれた信頼関係をちゃんと維持して、発展させていくことが今の世代の責務だよ。よく、「新車を批判したら、試乗会に呼ばれなくなるんでしょ?」みたいなことを訊かれるけど、この仕事を30年以上やっていて、一度だってそんなことはなかった。
近藤 忖度したり、それを暗に求めるような業界に発展はない。
若林 もちろん、ただの悪口や悪意ある誹謗はだめ。どんなクルマであっても高いお金を払って、乗っている人がいるわけで、無責任に言いっ放しにされたら気分がいいわけがない。もしもいい評価ができないなら、なにが問題でどうすればいいのかも含めて考えてほしいし、記事の先にユーザーと読者がいるという視点を忘れてはいけない。
次世代ジャーナリストの必要性
岡崎 いろいろなジャーナリストの記事を目にする中、「ここはよくない」というストレートな言葉が若手から聞こえてこないのは少し残念かな。それこそ、メーカーから怒られる、仕事を干されると思っているのかもしれないけれど、もっと素直に声に出して構わないのに、と思う。
近藤 そもそも若手が少なくなっている業界だよね。ジャーナリストも編集者も新しい世代をどうやって育てていけばいいのかが大きな問題だと思う。
岡崎 ジャーナリストと編集者って二人三脚で、書きたいことと表現したいことが合致しなきゃ仕事が生まれないし、生まれたとしてもどちらかがうまく応えられない場合もある。お互いがゴールに向かって連携し、記事の完成度を上げられる仕組みを構築することが重要で、その中へ若い人をどんどん送り込んでチャンスを与えたい。もっとも、決して早道ではないし、手間もかかれば、ストレスを抱えることにもなる。でも、このままだと業界の平均年齢が上がるばかりで先細りは目に見えている。
若林 私がこの仕事に関わるようになったのは34歳くらいの時で、遅まきながらもなんとかやってこられたのは、きちんと鍛えてもらったから。最初はペーパードライバーだし、免許もAT限定だし、欧州メーカーの名前すらもよく知らなかったのに、周囲の人たちがバカにせず、面倒くさがることなく、書く時間と場所を与えてくれた。初代編集長は厳しくて、冗談じゃなく本当に泣きながら何度も原稿を書き直したけれど、それが今につながっている。それを思うと、そろそろ次の世代にお返ししていく年齢かな、と感じている。
近藤 若手が入ってくるのを邪魔せず、活躍できる環境をどう整えるかが業界の大切なテーマだね。
岡崎 これって、前回話した大手企業とスタートアップ企業の関係性にも似ていて、僕らの基準で物足りなさを感じても、どこかに新たな視点や発想があるかもしれない。それを見極め、否定することなく引き出してあげる中で、新しい可能性が生まれるはず。
若林 ベテラン編集者が判断して、ベテランジャーナリストが原稿を書けば、手間も掛からず、質も担保されるけれど、最初から完成度を求めず、長い目で見る必要がある。
モータージャーナリストの歓び
岡崎 これからのモータージャーナリストは、クルマにまつわるあらゆることを語れる職業になっていかなきゃいけない。カーボンニュートラル、自動運転、CASE、Maasといった周辺事情はもちろん、クルマを通しての旅だったり、マーケティングやデザインのことでもいい。
若林 クルマがおもしろいのは、ハード単体だけでなく、乗る人の人生だったり、街づくりだったりと切り口が無限にあること。だからこそ、新しい人に入ってきてほしいんだけど、書く若手は少なくても、映像の中で話す若手はかなりいる。書くことと話すことの両方を行き来している五朗さんは、そのあたりをどう感じてる?
岡崎 テレビ番組を長年やらせてもらっている経験上、しゃべりには瞬発力が試されるし、それだけだと自分が消費されているというか、知識やテンションを吸い取られている感覚が強い。それがアウトプットだとすると、書くことはインプット。書いている間はずっと思考しているでしょ。だから時間が掛かって大変だけど、そのぶん、思いついたフレーズや考え方には深みが出ると思う。口から発するプロセスとは全然違うから、その両方をやることで、僕はバランスが取れている。だから、映像の世界をきっかけに雑誌の世界へ入ってくる人も歓迎したい。
近藤 では最後に、どんなところに仕事の歓びを感じているの?
岡崎 試乗することはもちろん、それを作ったエンジニアやデザイナー、エネルギーや環境の専門家など、クルマを介して様々な立場の人と接し、話ができることが本当に楽しい。そこで得た知識や気づきがインプットにもアウトプットにも繋がっていて、自分の中に蓄積されていくことが実感できる。それがなによりの歓びだね。
若林 編集者の立場でも、多くの場所へ出掛け、人と会い、経験が増えていくのはとても楽しい。でもそれ以上の歓びは、最初の話と矛盾するのだけど、こちらが想定したゴールを大きく超えてくる原稿が届いたり、若い人の新しいものの見方に触れたりすると「おおっ」という驚きがあるし、やり甲斐を感じる。
近藤 時代の変わり目と言われる今は、若手にとって良いチャンスだと思う。これまでの慣習にとらわれる必要もないので、どんどんこの世界に入ってきてほしいね。
岡崎五朗/Goro Okazaki
1966年 東京都生まれ
1989年 青山学院大学理工学部機械工学科卒
1989年 モータージャーナリスト活動開始
2009年より 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
2009年より 日本自動車ジャーナリスト協会理事
2009年より ワールド・カー・アワード選考委員
近藤正純ロバート/Masazumi Robert Kondo
1965年 米国サンフランシスコ生まれ
1988年 慶應義塾大学経済学部卒
1988年 日本興業銀行入行
1996年 米コーネル大学留学MBA取得
1998年 レゾナンス設立代表取締役就任 現任
2008年 日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員
2012年 日本カー・オブ・ザ・イヤー副実行委員長
2023年 日本カー・オブ・ザ・イヤー執行部
若林葉子/Yoko Wakabayashi
1971年 大阪市生まれ
1994年 立教大学文学部ドイツ文学科卒
OL、フリーランスライターを経て、
2005年 ahead編集部に所属
2015年 HINO TEAM SUGAWARA1号車ナビとしてダカール・ラリーに出場
2017年 ahead編集長就任
日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員
2020年 ahead編集長退任、現在はフリーランス