人との繋がりがこれからのクルマを創る 次世代ジャーナリストを探せvol.9 僕たちは、これからクルマとどう向き合っていけばいいのか

クルマの進化とヒューマニズム[対談]モータージャーナリスト 岡崎五朗×名古屋大学未来社会創造機構 モビリティ社会研究所 特任准教授 小出直史

まとめ・小出直史、写真・淵本智信

テクノロジーの進化は人に何をもたらすだろう?クルマをつくるのも人ならば、それを使うのも人だ。人が中心に据えられた、人が置き去りにされない進化のために私たちができることはなんだろう。今号ではふたつの企画を通して、技術と人の関係に焦点を当てた。

凄まじい勢いで発展する技術はクルマとヒトに何をもたらしているのか。本誌7月号で「運転健康年齢は視覚機能がカギを握る」を寄稿してもらった小出直史さんと岡崎五朗さんに、“作り手とユーザーの景色(=視点)の違い”や技術の進化の過程で“人”が置き去りにされないことの重要性について話してもらった。

岡崎 「次世代モータージャーナリストを探せ」9回目の今回は、医学博士で、大学の先生をしながらいろんなフィールドで活躍されている小出さんにお話を聞いてみたいと思います。小出さんは実はかなりのクルマ好きということで、本誌で記事を書いてもらったわけですがどうでしたか?

小出 雑誌の原稿を書くのは生まれて初めてだったのですが、あんなに何度も原稿を書き直したのは人生で初めてでした。

岡崎 やっぱり論文とは随分違いますか?

小出 伝えたいことは山ほどある中で、文字数と闘いながら綴るのはとても新鮮な経験でした。

立場の違いと景色の違い

岡崎 そこは雑誌と論文の違いですね。そういう意味で言うと、小出さんが身を置いている学者さんの世界とモータージャーナリストの世界では、考え方についても似たところがあれば違うところもありますよね?

小出 専門家といっても一括りではなくて、いろんな専門があって、それぞれ考え方や作法、文化は全然違います。だから専門家でも意見が合わないことは日常茶飯事です。

岡崎 この前書いてもらった視覚機能と運転の話でもそうですか?

小出 もちろんです。医師は目の病気を見つけてあげたい・治療したいという意識が高く、例えばADASなどのシミュレータを開発する工学系研究者はデータの精度に興味があったりします。こういった専門の違いに加えて、社会にもち込むときには実際にそれを利用するドライバーの価値観とのすれ違いが起きてしまいます。

岡崎 クルマで言うと作り手とユーザーの違いのようなものですか?

小出 そうですね。重大な落とし穴は2つ。1つ目は、作り手がデータの精度(質)を求めるあまり、大掛かりで面倒で過剰なものになる傾向があること。2つ目は、データから明らかになったことの先に“何をしたらいいのか”が用意されていないことです。ドライバーの立場からは、面倒なことにはなかなか足が向きません。そして何より、「危ないかもしれません」と、状況を知らされるだけでは知る意味が霞んでしまいます。ドライバーが欲しているのは「危ないかもしれない」のその先です。だから提供している側は100%善意なのに受け取ってもらえない、こうしたすれ違いは科学と社会の間で至る所で起きていて、この課題を〝社会的受容”と呼んでいます。

岡崎 それって、最近ではデジタル化がクルマづくりに急速に入ってきて、SDVだって言って、1つの大きな画面に操作系が集約されてしまっている。ユーザーの使い勝手やそれこそ社会的受容にもメーカーは目を向けないといけないっていう課題とも繋がる気がしますね。

小出 作り手の合理性や効率性も大切なんですけど、クルマの買い替えサイクルは10年に1回程度という中で、エアコンやボリュームのつまみが見当たらずタッチ画面になってしまっていることなどが理由で、買い替えを尻すごみしてしまうという声も耳にします。その結果、支援システムのある「いいクルマ」から望まぬながら縁遠くなってしまいます。

岡崎 「いいクルマ」を作っているのにADASの普及に活かしきれていないとも言えますね。

小出 もったいないの一言に尽きます。質が大切なのはその通りなんですが、科学や技術は普及して初めて活きるというところに目を向けることも大切ではないかと思います。

岡崎 パソコンのOSでもクラシックモードとかあったりするし、音楽だって、ストリーミングで聴くばかりじゃなくて、CDやレコードで聴いてる人だっているわけだし。そう考えると、進むばっかりじゃなくて振り返ることも大切ですね。

小出 作り手と使い手は同じ景色とは限らないから、作り手には、猪突猛進になりすぎないで、少しでいいから、立ち止まったり・振り返ったりすることに目を向けてもらえたらと感じています。

岡崎 今クルマは100年に1度の大変革期と言われていて、最新技術の導入を優先し、前に前に進んでる時だからこそ、昔のユーザーインターフェースの凄さが改めて評価されたりする可能性もあるよね。

小出 その時々の作り手がどういう考えを持って作ってきたのかを、伝え遺していくことで、作り手の想いとユーザーに橋を架けるような役割をモータージャーナリストが担えたらステキだなと思います。

今一度、人に目を向けてみる

岡崎 小出さんは、そのすれ違い(社会的受容)に着目してフィールドワークされてますよね?

小出 最近は、バスやタクシーの高齢化と人材不足の社会的課題に加えて、自動車運送事業者における視野障害対策マニュアルというものが国交省から出されていて、その規定運用に関する対応を交通事業者と一緒に考える活動をしています。

岡崎 職業ドライバーについては、物流の2024年問題とかもありますよね。どれも一見八方塞がりのような感じがしてしまうんですけど、どう考えたらいいんでしょうか?

小出 一般路線バス事業者は99.6%が赤字であるとも言われていて、ドライバーの高齢化と深刻な人材不足に悩まされています。加えて、健康管理の規定がのしかかればどんどん苦しくなる一方です。当初、ドライバーも仕事を取り上げられるのではないか、という仕事に対する不安から検査には警戒感がありました。そこで、規定に対する向き合い方を「病気を見つけて仕事を取り上げる」から「早く見つけて対処することで長く安心して仕事を続けられる」というイメージを浸透させていくことから始めました。

岡崎 なるほど。いきなり検査やデータ取得はしなかったんですか?

小出 はい。事業者やドライバーに対して、「一方的にやらされてる」から「参加する動機」を受け取っていただけるように、現地に足を運んで言葉を尽くしました。すると、はじめは警戒してこわばっていた表情が柔らかくなり、私たちの存在が“よそ者”から“知っている人”になっていくんです。そうした前提ができあがって、ようやく言葉や行動を受け取っていただく準備ができるわけです。

岡崎 一見面倒なようにも見えますが、データとかじゃなくまず人を見るってことですね。

小出 多くの場合、相手を見ていないというか、データや病気にしか興味が向けられていないんじゃないかと。先方には、何回も足を運ぶこと自体にも驚かれましたが、「外部からくる方々はたいてい偉そうで一方的なことが多いのに違うんですね」だとか、研究に身を置くものとしては考えさせられる声を頂戴しました。何をするかも大切なのですが、誰とするのかという「信頼」や「安心」に目を向けることが一丁目一番地だと改めて感じました。

エビデンスとジャーナリズム

岡崎 少し前からEBPMっていうパワーワードをよく耳にするようになって、データやエビデンスがなければ物事は決められないとか言われていたりするけど、ここまで小出さんの話聞いてたら、必ずしもそうではないってことですね。

小出 そうですね。2点あって、EBPMの「E」エビデンスは、ある一定の専門的解釈によるデータでしかなくて、全てを説明できるものとは限らないということです。例えば、缶ジュースを正面から見れば長方形、上から見れば円、ですがデータとしては「それは長方形である」と「それは円である」が対立してしまいます。正解は円にも見えるし長方形にも見える「円柱」なのです。このようにエビデンスが全てではないということが1つ。もう1つは、言葉やデータには行間があって、言葉にならない・できないところが常に存在するということです。

岡崎 確かにね。「2021年にはEVはガソリン車より安くなるんだ」って、いろんなエビデンスをくっつけて言ってる人たちがいたけど、世界中に散らばってるデータの都合いいところをチェリーピッキングしたら、それもストーリーとして一応成り立っちゃうわけですよね。

小出 はい、いかようにでもなってしまうわけです。エビデンスがあるから正しいというのは違うかもしれないということです。

専門や立場を超えて共に考える

岡崎 なるほどね。ここまで話を聞いてきて気になったんだけど、小出さんみたいに現地に足を運んで、人と人とのコミュニケーションを取っていくことは、学者が皆さんやってらっしゃるってことなんですか。

小出 いえ、研究者もあまりできていないのではないかと思います。ただ僕は「やっぱ行かないとわかんない」 これに尽きると思っています。

岡崎 今日、小出さんに話を伺う前は、モータージャーナリストはもっとエビデンスに基づいて書かなきゃダメですよって叱られるのかなと思ってたけど、人に丹念に話を聞くことや、その背景にある想いを汲み取ることこそが大切で、とっても人間的というか、ウェットなことに目を向けることを心掛けてらっしゃることが、僕にとってはなんかいい意味で意外だったなと思いました。

小出 理論や技術は重要なのですが、怒りとか願いといった人の想いや感情が真ん中に据えられていることで、それに理論や技術が組み合わさったときにストーリーができるというか。

岡崎 AIや自動運転といった技術単体ではどうしようもなくて、中心に人を置いたときに、どのように許容していくのか、技術とどう向き合っていくのか。自動運転のクルマに家族がもしはねられてしまった時に、その怒りの矛先についてどのように考えていくのか、どのように保障するのか。こういうことって法律だけじゃなくて哲学的なことも含めて考えていかないと、テクノロジーの進化に変な歯止めだけがかかっちゃうこともあり得る。こういう複雑な課題に対しては、立場や専門が違う僕らが一緒に考えていく必要がありますね。

小出 そうですね、そこにはいろんな意見があっていいと思います。解決策を探すだけじゃなくて、考え続ける人たちがいることで、課題を一旦横に置いて休戦できる関係性があることで、妥協とは違った道が開けるのではないかとも思っています。

小出直史/Naoshi Koide>

名古屋大学未来社会創造機構モビリティ社会研究所の特任准教授。1984年愛知県生まれ。博士(医学)、薬剤師。ADASの普及に関する研究を行い、視野障害をはじめとする高齢者の健康運転リスクや地方圏の公共交通弱体化といった社会的課題に取り組んでいる。最新技術を活用した安全確保を前提に、運転をむやみに取り上げない包摂的なクルマ社会の実現を目指している。

岡崎五朗/Goro Okazaki>

1966年生まれ。モータージャーナリスト。青山学院大学理工学部に在学中から執筆活動を開始し、数多くの雑誌やウェブサイト『Carview』などで活躍中。現在、テレビ神奈川にて自動車情報番組 『クルマでいこう!』に出演中。本誌『クルマでいきたい』は2009年より続く最長連載となっている。